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東周列国 春秋編 第十九集

 少し時代は戻って、楚の国での物語。いきつもどりつしながら、少しずつ時代は変化していく。
 重耳に敗れた楚の成王は、後継者問題に悩まされていた。太子である商臣は出来が悪く、廃嫡して末子・職を新たに太子として立てようと考えていたのだが、職はまだ幼く、表立っては動けない状態であった。
 そんなおり、商臣は成王の妹である江羋の口からその計画を知ってしまう。むざむざ廃嫡されるくらいならと、守役の潘崇と共に先手を打って反乱を起し、成王を殺して自ら王位(穆王)についた。
 だがこの穆王の治世も長くは続かず病没すると、新たに荘王が立つことになる。しかしこのとき楚の実権は令尹の闘越椒の元にあり、新王は国政を顧みず遊び暮らしていた。

 このままではまずいと思った家臣の申無畏は、荘王の元に意見をしに訪れるが、直言を受け入れてもらえそうもない雰囲気を見て取ると、「楚の国に、三年鳴かず飛ばずの大きな鳥がいる」という謎かけを行なう。すると国王は「三年鳴かなかったのであれば、ひとたび鳴けば人々を驚かすだろう、飛ばなかったのであれば、ひとたび飛べば雲をつくほど高く舞い上がるだろう」と答えて、申無畏を納得させる。

 だが、その後も国王の態度は変らず、ついに焦れた別の家臣の蘇従、弓の名手・養由基、そして側室の樊姫にも詰め寄られる。これで好機の到来を知った荘王はようやく重い腰を上げ、政治の実権を闘越椒から取り戻し、精力的に内政に励み、対外的にも勢力を広げていった。

 そして周天子の勢力にまで手をのばし、周に代わって天下を取る構えまで見せたのだが、未だに天下を治める徳は周の元にあるという周王からの使者の言葉に、諦めざるを得なかった。

 そして帰還しようとした荘王の元に、闘越椒謀反の知らせが届く。だがこれは予見されていたことであったのだ。このときのためを思って側近に取り立てていた養由基は、闘越椒との弓の一騎打ちに勝利し、荘王は名実ともに楚の王となったのである。

「三年鳴かず飛ばず」とか「鼎の軽重を問う」といった成句が出てくるエピソード。特に「三年鳴かず飛ばず」は本来の意味とは逆に使われることも多いので、本編での「鳴いたぞ」と歌い踊るシーンは印象的である。
 ずっと何もしなかった理由は、闘越椒に全権を集めることで彼に対する不満が溜まり、自分への期待が失望に代わる直前に態度を変えて一気に人心を掌握した、ということなのだろうが、これはかなり危険な賭けであったようにも思う。へたをすれば晋の霊公のような結末を迎えていた可能性もあるわけだし……。まあ、その辺は闘越椒の能力と新王である自分への期待(逆に言えば、前王への不満)を冷静に見越しての上だったのかもしれないが。

 冒頭の成王のエピソードは乱世の無情を強く感じたところ。楚は辺境の国ということで中原諸国よりもずっと実力主義的な部分が大きく、パワーゲームの敗者には容赦がないのだろう。もっとも成王自身にも第九集で見せたように、その要素はあるわけで、因果が巡ったと考えられなくもないところである。
 
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Comment

No title

>ずっと何もしなかった理由
私の場合は、王位を継いだ時点で令尹の権限がすでに大きかったので、
単独ではひっくり返すのは無理だろうから、反旗を翻すまでの間に
まずは手駒を集めておこうという心積もりだったのかなと考えました。
腕の立つ養由基なんかもフリーだったからこそ探しに行けたわけですし、
死を賭しても自分に諫言に来るような忠義心と気骨の持ち主ってのも
権力をひっくり返すためには必要だったはずですし。
もちろんリスキーだったのは変わらないんですけどね(^^;

2008.07.27 (Sun) | Manbo #mQop/nM. | URL | Edit

No title

>反旗を翻すまでの間に まずは手駒を集めておこうという心積もり
確かに、それもありですね。それにしても、このドラマ、ひとつひとつのエピソードのクオリティが高いです。色々考えさえられることが多い。

2008.07.27 (Sun) | うちゃ #9fUrC8Yk | URL | Edit

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