スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

かたき討ち

 武侠ドラマを見ていると、かたき討ちというのは良く出てくる。射雕英雄伝の郭靖や碧血剣の袁承志のように主人公の動機になっていたり、また笑傲江湖でも林平之のかたき討ちはストーリーの中核になっている。
 実際のところ、中国ではかたき討ちに対しては、公的には罪としていたものの、心情的には肯定的に捉えられており、父母・祖父母のかたき討ちに対しては特別な配慮がされていたようである。ただ、かたき討ちとしては父母・祖父母を対象にしたものしか認められなかったようだ。どうやら儒教の影響が強かったというのが、その理由らしいが。復讐に対しては歴代王朝も対応に苦労していたようで、明代においてはかたき討ちに対する法を制定し、その場で敵を取った場合は無罪、あとから復讐した場合は杖60と、かなり優遇されている。

 日本でも、かつては合法的にかたき討ちが出来た時代があった。日本の場合、儒教よりは武士の倫理観の方が影響が大きかったようである。そして基本的にかたき討ちというのは武士のものであった。江戸時代も後半になると庶民によるかたき討ちも増えていったのだが、これも武士の気風を真似たものであったそうだ。
 また、基本的にかたき討ちというのは、目上の者が殺された場合にのみ許されるもので、父母や兄、主君のかたき討ちというのは許されても、子供や弟のかたき討ちというのは認められなかった。そして殺人ではなくかたき討ちと認められるには一連の手続きが必要であった。まあ実際にはすべてを手続き通りに勧めなかった場合においても、要件が揃っていればかたき討ちと見なされはしたようであるが、私的な復讐心から行われるものに、細かく様式が定められていたというのは不思議な気もする。
 このように様式化されたかたき討ちは、やがて先にも述べたようにしだいに”庶民化”していく。そして一種の見せ物と化していくことになる。かたき討ちを装った詐欺などもあったようだし、同時代の作家達によってかたき討ちを茶化した作品なども書かれるようになっていった。

 徳川政権下では、かたき討ちは美徳とされ、顕彰さえされていたこともあるのだが、それは個人の復讐心を肯定するというよりも、武士の倫理観を守るためのものであったと思われる。あるいは、復讐を遂げたいという思いを利用して、武士の理念を称揚しようとしていた、という言い方もできる。後期になって庶民によるかたき討ちが増えたのは、武士の理念が武士以外の階級にとっても理想となっていたことの証明なのだろう。(ただし、これを茶化して相対化することも同時に行っているあたり、そう単純でもないのだが)

 そうであるがゆえに、明治政府になってからはかたき討ちは禁止される。武士階級を否定することで成立している政権なのだから、武士の倫理に基づいた行為など肯定できるものではなかったのだろう。”武士道”というものが国民の道徳として作り出されるようになるのは、遥かに時代が下ってからのことである。

参考:かたき討ち 復讐の作法/氏家幹人 中公新書
スポンサーサイト

Comment

No title

>かたき討ちというのは、目上の者が殺された場合にのみ許されるもので、父母や兄、主君のかたき討ちというのは許されても、子供や弟のかたき討ちというのは認められなかった。
<
ここで思わず、そういえば『妻敵討ち』なんつーのがあったなー、あれもなんか約束事があってややこしかったらしい、とか、つい思考が脱線して彷徨いだしてしまいました(^^;
http://www.0105.jp/~mizuki/katakiuchi3.html

2008.04.27 (Sun) | 碧猫 #fYTKg7yE | URL | Edit

No title

当事者としての心情的には、ぜったい報仇!となる気持ちはよくわかるのですが、
ドラマなんかだと、普通に復讐して、念願かなってめでたしめでたし、というパターンと、
それに対して復讐なんかしても虚しいだけだという結論に帰結するパターンがありますね。
ひとつの基準としては、
仇討ちされる相手が、発端となった出来事を悔いている/反省しているなら
許してあげるべきだと思いますし、
逆にそうでないなら復讐を遂げるのが正しいのかな、と思います。
でも客観的(法的)にそんな基準をつけるのは、やっぱり難しいですよね(^^;

ところで、娘がよそで作ってきた男に向かって
「よくも娘を! 殺してやる!」と仇討ちに切りかかるお父さん…という構図が
そろそろうちゃさんの鑑賞ペースを考えると出てきてるんじゃないかと思うんですが、
そのことと、このエントリを書かれたことに何らかの因果関係はあるのでしょうか?(笑)

2008.04.27 (Sun) | Manbo #mQop/nM. | URL | Edit

うわなり打ち

碧猫さん
 妻敵討ちとなると、不義密通とか姦淫罪に対する私的制裁という意味合いなんでしょうね。親や目上の敵討ちとは違う枠組みだったようです。
 かつては先妻が後妻を打つという”うわなり打ち”というのもあったようです。これは実際には流血殺傷というところまではいかなかったようですが。

2008.04.27 (Sun) | うちゃ #9fUrC8Yk | URL | Edit

討つものと討たれるもの

Manboさん
 現実はどうかはわかりませんが、少なくともフィクションの世界での敵打ちの帰結が空しくなるかどうかは、討たれる側というよりも討つ側によるのではないかと思います。
 敵打ちの過程で得たものと失ったものによって違ってくるんじゃないでしょうか。林平之の場合、殺されて当然と言う相手でしたけれど、結果はあれでしたし。郭靖は自分で仇を討つことは出来ませんでしたけれど、その過程で多くのものを得ていますから、後味は悪くない。

>「よくも娘を! 殺してやる!」と仇討ちに切りかかるお父さん
な、なぜわかるんですか(笑)

2008.04.27 (Sun) | うちゃ #9fUrC8Yk | URL | Edit

No title

日本の場合、下手に殺すと相手が「神様」になっちゃうというヤヤコシイ事情もありますね。

2008.05.01 (Thu) | 非国民 #O/sbTEhg | URL | Edit

No title

非国民さん
 日本の「神様」って「祟られるとヤバそうだから、とりあえず祀っちゃえ」みたいなところがありますよね。

2008.05.01 (Thu) | うちゃ #9fUrC8Yk | URL | Edit

Post comment

Secret

Trackback


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

現代アルバニア文学の巨匠、イスマイル・カダレの『砕かれた四月』(平岡淳訳/白水社1995)。ISMAIL KADARE \"Avril Brise\"1982なお『ビハインド・ザ・サン』というタイトルで映画にもなったらしいですが、そっちは見てません。

2008.05.01 (Thu) | 非国民研究開発

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。