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献身と祈りは勘弁して欲しい

 doxさんのこちらのエントリーにあった、
大学生の友人が週末ごとに実家に洗濯物を持っていき、母親の作ったおかずをタッパーにつめて持って帰ってくると聞いたときは、あきれると言うより腹が立ったものである。

 この話を読んで思い出したことがひとつ。私は大学を卒業して就職する時に親元を離れることにしたのだが、二年位して母親に愚痴られたことがある。近所の友だちの息子さんで親元を離れて就職した人がいたらしいのだが、彼はdoxさんの大学の友人のように毎週洗濯物を抱えて帰ってくるような人だったそうだ。母はそれを聞いて、私もそうするものだと思って期待していたらしい。「なのに、おまえときたら、ちっとも家には寄りつかないし、電話もくれやしない」と言われてしまった。世話を焼かれるのが嫌で家を出ていった人が毎週帰ってくるわけはなかったんだけど。 
 確かに、家事を献身ととらえている人というのは家事をしている側にもいるだろう。そういう人と、世話を焼いて欲しい人との組み合わせというのは幸福なのかもしれない。でも、子供のころならともかく、大人になってからの私にとってその手の献身というのは”毒”でしかないんだ。飛ぶことが出来るようになった雛鳥に必要なのはえさを運んでくれる親じゃなくて、自分で飛んでえさを捕ることを教えてくれる親だ。そうでなければいつまでたっても飛ぼうとしない。えさを貰うことに感謝することも忘れそうだ。だから私は家を離れた。無償で家事を代行してくれる人がそばにいる状態で、自分でわざわざそれをやれるほど立派な人じゃないからね。

 アキラさんのコメントにあった、
「こんなに尽くしてるあたしって素敵」
「こんなに尽くしてるあたしが好き」
という感じのものも、実は多いと思うんですよぉ。

というのもあると思う。でももう一つ、自分から飛び立って行ってしまうことを恐れる気持ちがどこかにあるんじゃないか、と私は疑っている。 
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