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なぜ人はニセ科学を信じるのか/マイクル・シャーマー

 水からの伝言や、ゲーム脳、ID論、歴史修正主義といった一見科学を装ったトンデモ理論は、まともな科学者たちからは相手にされていないにもかかわらず結構な信頼を集めることがある。これは日本だけの現象と言うわけでも無く、どこの国でも起きうることであるらしい。
 一方でもちろんそれらに対抗する著書も多い、古典的なものとしてはマーチン・ガードナーの「奇妙な理論」などがあるが、このマイクル・シャーマーの著書は騙しのテクニックというよりは、なぜそのような理論が支持を集めてしまうのか、といった点に注力しているのが特徴だと思う。どうして騙されてしまうのか、から、どうしたらそれらのニセ科学に騙されずに済むかという処方箋までを提示しているという点で非常に有意義な本であろう。メディアリテラシーなどと口にしながら、一向にリテラシーを持てない人たちにもぜひ一度は読んでもらいたいものだ。

 本書は全体で五部構成になっており、それぞれで扱っているトピックが異なる。
 第一部は全体の要約に相当する部分で、科学とニセ科学の違いについて、一般的なニセ科学の特徴と見破り方、懐疑主義という方法論について語られる。科学を装って人を騙すというニセ科学の手法は巧妙ではあるのだが、たとえ分野が違っていても似通ったものになっていくものであり、統計や科学的手法についての正確な知識があれば見破ることは不可能では無い。

 第二部では、超常現象や霊能力、エイリアン・アブダクション、魔女狩り、カルトと、現在はだいぶ影響力を薄れさせた現象について語られる。今ではこれらの項目について本気で信じている人の数はだいぶ減ったんではないだろうか。個人的な感想を言えば、超常現象とか異星人の訪問について信じられなくなったのは少し寂しい気がするのは確かである。これらは個人で楽しむ分にはたいした害も出ないし。
 だが、個々のトリックが暴れればそれぞれ個別の現象については集束するものの、形を変えて甦るのもまた事実。ヨーロッパ中世に猛威を振るった魔女狩りが、現代のアメリカで形を変えて甦ったことは、個々の事象に対するトリック暴きだけでは充分な対抗策にはなりえないことを示している。ここではその手の”告発”騒ぎが発生する原因として、社会システムのフィードバック・ループというモデルが提示されている。これについては最近少し思うことがあるので、まとまったらいずれエントリーを上げてみたい。

 第三部では進化論と創造論についてである。創造論は、最近になってまたID(インテリジェンス・デザイン)論としてリニューアルされているが、そのニセ科学としての本質はまったく変わっていない。アメリカではまだ創造論を信じている人たちが沢山いることはよく知られているが、それでも創造論が科学として認められているわけではない。
 この部分で面白いのは二点ある。ひとつは生物の進化のような再現不可能な現象についての科学的な探究の手法について語られていることだ。物理や科学のように実験室で再現できるものについては創造しやすいのだが、歴史的な事柄について科学はどのように扱うのかは意外に知られていない。そして創造論者は知られていないことを利用して、進化論と創造論があたかも同列の存在であるかのように見せかけるのである。
 そしてもうひとつは、進化論裁判ではほとんど例外なく、議会で肯定された創造論が裁判所で否定されているということだ。先にも書いたように、アメリカでは創造論者は決して少数派ではない。多数決とシステムだけに頼っていたら進化論は教育の場から駆逐されていただろう。裁判所によって科学的な正しさが決められるというのが決して最善では無いにせよ、議会と多数決というシステムの持つ重大な欠陥を補完するものだということの証明になっていると思う。

 第四部は歴史修正主義についてがメイントピックとなる。ここで取り上げられているのはホロコースト否定論であるが、彼らの論法はやはり南京大虐殺否定論や従軍慰安婦否定論とよく似ている。それはもう、笑っちゃうくらいにそっくりと言っていいだろう。動機についてもそうなのだが、思考のプロセスが瓜二つなのだ。
 そして、このプロセスは実は創造論者のそれとも親和性が高い。そう言えば南京大虐殺否定論者でかつID論者という人がいたが、それも納得である。彼らはこれらの思考プロセスに対する親和性が高いのだろう。

 第五部では再び全体を通してのメインテーマに戻る。なぜ人はニセ科学を信じてしまうのか。人間というのはおそらくは自分のいる世界に意味を見いだしたいのではないだろうか。まったく無関係に思える事柄の間に意味を持たせようとする傾向が人間の思考の中にはあるのだろう。もしかしたら科学もニセ科学も、出発点は似たようなものかも知れない。だが科学的な手法というのは、現在知られている中では最も精度の高い答えを出してくれるはずだ。
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Comment

カルト

カルトの問題はマインドコントロールの問題も含むので"信じる"という
本筋とは離れるのですが、カルトは現在だいぶ影響力を薄れさせた現象でしょうか?
宗教的な団体に限っても統一協会はいまだに大きな勢力を保っていますし、
オウム以後でもライフスペースや摂理等が大きな事件を起こしています。
他にも顕正会という団体が今年に入ってからも逮捕者を出しています。
宗教的なもの以外であるマルチ商法や自己開発セミナーも
カルトに含めるならば影響力が薄れたとは思えません。
また霊能力もどうでしょう?某スピリチュアルカウンセラーとやらが
大人気のようですし。

2007.07.03 (Tue) | MKM #- | URL | Edit

教育現場で

水からの伝言が道徳教育に使われたり、ゲーム脳が生活指導に使われたりしているのは、さすがにヤバいだろう、と思います。ファンタジーとして楽しむ、くらいの距離感が必要ですよね。血液型にしても。

2007.07.03 (Tue) | 水葉 #SFo5/nok | URL | Edit

>だが科学的な手法というのは、現在知られている中では最も精度の高い答えを出してくれるはずだ。

うちゃさんが指しているのは「科学的な手法」であって、「科学」そのものを指しているわけではないのを了解した上ですが。

この結論を、科学を「正しい」答をくれるものと位置づけした表現と理解する人がでないと良いなぁと思ってしまいました。
…それは科学に対する過大な期待だから。

これ、既読でらっしゃいましたらすみません。よかったらどうぞ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/3527481
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/nisekagaku/nisekagaku_nyumon.html

2007.07.04 (Wed) | 碧猫 #fYTKg7yE | URL | Edit

疑似科学で思い出すのは、やっぱり血液型診断ですね。
子どもの頃、「A型の人は○○で」と聞くたびに思っていました。

??ネアンデルタール人の血液型診断はどうなるんだろう??

彼らにABO式診断は通用するんだろうか?
そもそもネアンデルタール人も現生人も含めてたった4つの性格に分類するには、ヒトの発生から将来的な絶滅に至るまで何百何千億という標本(赤ん坊と老人では性格も異なるから、一秒ごとに性格の標本を取り続けて)を取らないといけない。
そしてこれを4つの箱に定義づけるためには「A型は…」「B型は…」の記述はおそろしく超長文のものにならなくちゃいけなくて、それを書く・読むだけで人の一生は終わってしまうんじゃないか。
だとすれば血液型診断で一生を終える人というのはどういう性格分類になるんだろう?

……とかなんとか、血液型診断の好きな女子に言って嫌がられていました(←空気読めない奴)。

2007.07.04 (Wed) | 人生アウト #5X5MRA9A | URL | Edit

あるキリスト教系カルトは、一流大学生に「聖書に隠された暗号を読めるのはあなただけですよ」と言って近づくのだとか。プライドをくすぐるんですね。
疑似科学信仰には色々なパターンがあると思いますが、血液型診断なんかはかわいい方だと思いますし、水からの伝言も、子供が成長すれば恥ずかしい記憶として水に流されるでしょう。

問題は、
・現実の苦しさから逃れるためのカルト
・エリートのプライドを満たすためのカルト
の二つが深刻でしょうね。
前者は家族を巻き込んで不幸にし、後者はもう言わずもがな。
歴史修正主義者は、「てめえの無知から目をそらす」「ありもしないプライドを満たす」複合型ですが(笑)。

そうしてみると、ニセ科学というものは当人の問題とか科学の問題というよりも、人がある特殊な環境に置かれた時に陥りやすい落とし穴、という社会的な現象なのかも知れません。

2007.07.04 (Wed) | 人生アウト #5X5MRA9A | URL | Edit

最近あんまりTV見てないから(^^

MKMさん
私がその手の話題に弱くなっただけかも知れません(^^; 確かにカルトや霊能力なんかはまだまだ現役みたいですね。

水葉さん
水からの伝言やゲーム脳なんかはファンタジーとしても出来が悪いと思います。彼らの主張は科学っぽく見えるから魅力があるのであって、その部分を除いたら価値が減ってしまうんですよ。

2007.07.05 (Thu) | うちゃ #- | URL | Edit

痛いところを

碧猫さん
 最後の部分、まとめきれてないで「いいやこれで」とか思ってアップしてしまったところにツッコミありがとうございます(笑) 
 いやマジで、
>この結論を、科学を「正しい」答をくれるものと位置づけした表現と理解する人がでないと良いなぁと思ってしまいました。
これこそ、ニセ科学が、科学を装う理由なんですよね。
菊池さんたちの活動は知ってました。日本じゃ「と学会」が有名になりすぎて、ちょっと弊害も出てきていると思うので、こういうことに真面目に取り組んでいる科学者がいるというのは良いことだと思います。

2007.07.05 (Thu) | うちゃ #- | URL | Edit

ある面では非常に理性的な人が

>そうしてみると、ニセ科学というものは当人の問題とか科学の問題というよりも、人がある特殊な環境に置かれた時に陥りやすい落とし穴、という社会的な現象なのかも知れません。

別のところではとてつもなく妙なことを信じていたりもするんですよね。科学もニセ科学もそれほどくっきり別れているわけでは無いというところもあるので、なかなか難しいです。それでもグラデーションの端と端を見比べれば一目瞭然ではあるのですが。

2007.07.05 (Thu) | うちゃ #- | URL | Edit

うちゃさん

こちらの指摘も重要かな、と。
http://d.hatena.ne.jp/sivad/20061112#p1

観察→仮説→実証→結論の段階をたどるとされる科学的手法では、どんなに面白い仮説であっても、実証されなければ科学的な結論にはできません。あるいは、並行して進めていたら「面白くない」方の仮説が実証されてしまうこともあります。でも、実証しようと思わなければ、面白い結論に飛びつくことができるわけで(^^;

「面白い」の形容詞を別のものに置き換えれば、こっちの方が歴史修正主義に当てはまりやすいかもしれませんね。

2007.07.05 (Thu) | 碧猫 #fYTKg7yE | URL | Edit

碧猫さん
 「面白さ」かぁ。それだけじゃないようにも思うんですよね。単純に面白さを求めるならフィクションでも良いわけで。物事になにがしかの意味が欲しいんじゃないかと思うんですよね。
 私はそれは宇宙に対する片思いだと思ってるんだけど。

2007.07.10 (Tue) | うちゃ #- | URL | Edit

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