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盲目ではいられない

「盲目の時計職人」……これも「カンブリア爆発」と同じように、古生物学や進化論に興味のある人たちには良く知られている言葉だろう。もちろんドーキンスによって書かれた進化論についての解説書のタイトルなのだけど、ダーウィンによって提唱された進化論そのものについてのすぐれた比喩にもなっている。未だにこの進化論については否定的な主張をする人たちも多いのだが、私としては現時点で最も信頼のおける仮説だと思える。

 生物というのがあまりにもうまく出来ているために、知性を持った存在により何か目的を持ってデザインされたのだ、と考えたくなる気持ちは実は良くわかる。しかしそれは、生物が自らがおかれた環境に対して適応してきたごく小さな変化の積み重ねによるものだ。変化はその時々の環境に対応したものであって、何かの目的に向かって進んできたわけではないのだ。「盲目の」という言葉はそのことを示している。

 生物進化に関するもう一つの比喩に「軍拡競争」というのがある。これについては、生物を進化させる環境の中には、同じ時代を生きている他の生物も含まれている、というのがポイントになる。捕食者と被捕食者との間で行われるものが顕著な例だ。捕食者側の攻撃能力の進化に対応するために、被捕食者側の防御能力もそれに合わせて進化してきた。人間の世界における軍拡競争と全く同じことは、生物界でも古くから行われてきたのだ。以前に紹介した眼の誕生も、この前提で書かれている。視覚――つまり光の刺激を空間認識のために利用する機構――と言うのは、生物界では非常に大きな力を持っているということなのだ。

 ところで、人類が手に入れた「知性」というのもまた一つの力だ。そして、恐らくは40億年の進化の果てに現れた生物界では最強の力ではないかと思える。これまでは突然変異と自然淘汰による小さな変化の積み重ねで実現してきた環境への適応を、物事の因果関係を読み取ることによってはるかにスピードアップすることが出来るようになったのだ。視覚によって得られるものよりもはるかに遠くまで見通せるようになり、把握することの出来る時間的なスケールも拡大した。

 だが、本当にこの知性というのを使いこなせているのだろうか。実は眼の誕生に匹敵する巨大な変化が起きているのに、依然としてこれまでのような「盲目的な」適応にしかその力を使えていないのではないか。生物界の軍拡競争は地質学的な時間をかけてゆっくりと進行してきた。だが人間界のそれは遥かに早く、生物進化に比べればほとんど一瞬と言っていいくらいの速度で進んでいる。その影響もまた桁違いなのだ。知性という眼を開いてしまった以上、もう盲目には戻れないと思うのだけど。
 
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