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一撃論の危うさ

 日華事変当時、対中国一撃論というのがあった。当時抗日運動が盛んであった中国に対して、一撃をもって屈服させてしまおうという考えである。根底には中国軍は弱兵であり日本軍が断固たる攻撃を加えればすぐに降伏してくるだろうという蔑視感情があったと思われる。しかし、相手の領土に攻撃を加えて、そのまますんなり戦争を終わらせられると考えてしまうところがおめでたい。そんなわけないだろうが。
 戦争というのは始めるよりも終わらせる方がずっと難しい。こんな自分勝手な思い込みを持ったまま戦争にのめり込んでいった日本軍は高いツケを払わされることになる。一撃で持って方をつけるはずの戦争は、泥沼の全面戦争になっていった。

 ところがこれで懲りたかと思ったら、まったく懲りてないのが救いようの無いところで、対米戦も同じような思い込みで始めてしまう。少なくともあるていど物の見えていた人々にとっては、その望みがほとんど無いことは分かっていたと思うのだが、追い込まれていたからまともな思考ができなかったのだろうか。しかし、もともと自分たちを追い込んだのはその一撃論だったのだから本当に救いようが無い。

 結局、明治維新以来約70年にかけて築き上げてきたものをすべて失うような大敗北を喫してしまうのだが、この一撃論が21世紀になって蘇ってしまうのだからあきれる。それもかつての敵国アメリカで。イラク攻撃がこの一撃論そっくりの考えで始められている。これが案の定というか日中戦争と似たような経過をたどってしまうのはね。一度目は悲劇、二度目は喜劇とは言うけれど3回繰り返すのはなんて言うんだろう。

 実は同じような危なさは適基地攻撃論にも感じるのだ。他国の領土を攻撃するということの危険性をあまりに軽く見てないだろうか。特に、相手の力を侮っていると危ないと思うんだけどね。
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