スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

認めない理由

 だいぶ時間が経ってしまったけれど、返事をお休みしていたこちらのエントリーのコメントの続き。
 どっちかというと、話をそのまま続けるのではなく、私が首相の靖国参拝をどうとらえているかについて書くことで返事にしたいと思う。結論から言ってしまえば、首相が「不戦の誓い」や「慰霊」を行う場所としては靖国神社は相応しくない、と考えているのだ。
 その理由は大きく分けて三つ、まずひとつはすでに言われていることではあるが、もともと慰霊のための施設ではないということだ。国家のために死んだ人間を顕彰するための施設であり、”国のために死ぬ”ことを肯定する施設だった。それは、戦時中のこんな記事からもわかる。戦死者の家族に対して「おめでとうございます」というのが作法だそうだが冗談ではない。そんなものはまっぴらだ。

 もうひとつは、「お国のために命を懸けた」なんてのがてんでインチキであることだ。それは前にこっちのエントリーに書いた。
餓死した英霊たち/藤原 彰
餓死した英霊たち その2
 ”英霊”と呼ばれている人たちの7割は「お国のために命を懸けた」じゃない、「国に殺された」んだ。その国のトップの人間が、しゃあしゃあと「感謝する」なんて言ってんじゃねえよ。

 三つ目、ふたつめとも関係するのだが、戦争被害者になったのは被害国の人間だけじゃない。上で書いたように兵士達ですら被害者としての面がある。戦場で斃れた人たちだけではない、国民や植民地の人々に当時の日本政府がどういう仕打ちをしてきたか。A級戦犯と呼ばれている人々の責任は決して開戦責任のみに限定できるものではない。彼らが祀られている状態で参拝するのは、それらの死者達に対する裏切りだと私は思う。
スポンサーサイト

Comment

Post comment

Secret

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。