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富士山は私のものだ

 私の出勤ルート中、最初に乗る電車の窓から富士山が見えるポイントがある。晴れている時にしか見えないし、時間にして一分そこそこ程度なんだけど、綺麗に見えた時には、なぜか非常に嬉しい気持ちになる。通勤途中にはずっと見えている経路もあるのだけど、どういうわけだかそこでは見えたとしてもそれほど嬉しくないのが不思議だ。どうやら、「ちょっとの時間」と「綺麗に見えるのは良く晴れている時だけ」というのポイントみたいだ。
 何年か前のある日、やっぱり綺麗な富士山を見てちょっとした倖せを味わっていた時に、近くに乗り合わせていた女子高生達がこんな会話をしていた。
「ここから富士山が見えるときって、なんか嬉しいんだよね」
「あたしも」
 君たちもか!

 実は、東京が江戸と呼ばれていた時にも、そんなふうに富士山を見ていた人たちは少なくなかったそうだ。富士山信仰というのはかなり江戸ではポピュラーなものだったし、富士塚と言って、ミニチュアの富士山を作ったりもしていたそうだ。

 そういう感覚が今の東京にも残っているのはなにか嬉しいし、伝統っていうのはそういうもんだよな~。なんていい気分にひたったものだった。

 さて、それをふまえて、こちらのエントリーを読んで見て欲しい。
教育基本法と「富士山敬愛法」の近未来?
 富士山敬愛法!
私は冒頭に書いたように富士山は好きだけど、仮にこんな法律が出来そうになったら絶対に反対する。もし成立してしまったら、自分たちのもののはずだった富士山を国に取り上げられるように感じるだろうね。バッチイ手で触るなよ、というのが一番近い感情だと思う。

 国歌や国旗にには大した思い入れも無いし、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」という文章では抽象的すぎていまいちピンと来なかったのだけど、文化や伝統を尊重することを法に定める、というのは具体的にはそういうことなんだ。

 冗談じゃない。これはお前らのものじゃないぞ、勝手なことするな。
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