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法の支配

 教育基本法について、自民党が変えようよしていたポイントとしては、愛国心を盛り込むこと以外にも「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負う」という文章の削除がある。最終的な与党案にはかろうじて残っているものの、教育に対する法の優位性を記していることで、「法の支配を明記することで、教育内容についてやりたい放題がまかり通ってきた学校現場の条文解釈に一定の歯止めはかかるだろう」などと考えているそうだ。
(参照、産経新聞、教育を考える。残るあいまいさ 教基法改正案

さて、教育内容は法で支配されるべきものなのか? 私は、公教育に関してのみであれば、ある程度の規範は示す必要はあるだろうと思う(基本法に盛り込むかどうかはともかくとして)。ただそれはできる限り慎重に、最小限にとどめるべきだろうとも思う。権力が教育内容に干渉するとあまり良い結果はえられないと思えるからだ。

 この手の話でまず思い浮かぶのがアメリカの進化論裁判だ。聖書の教えに反する進化論を学校で教えないようにしようとしたり、創造論と進化論を同等の科学として教えさせようとしたり。問題はこれらを法律で規制しようとしているところだ。ま、実際には「科学と宗教を一緒にするな」ということで、ぎりぎりのところで守られてはいるようだが、科学的な正しさを政治権力でどうにかできると考えている人たちはいるのだ。(そういえば、産経新聞ってID論みたいなトンデモ理論に入れ込んでいるみたいだが。)こういうのを見ると、やはり「不当な支配に服することなく」という一文は残しておかないと危ない。特にネイチャー誌に科学と政治の分離ができてない、なんて批判を受けるような政府を持っている日本みたいな国にとっては。
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