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「武士道の逆襲」の逆襲

 この間のエントリーでは少し書き足りていなかったような気がしていたし、コメントいただいたことへの回答も含めて、少し書き足しておきたい。
 まずはロストさんの教えてくれたこちらの論文
明治期日本における武士道の創出 にあるように、今の日本で武士道とされているものが明治期に創出されたものである、ということについては「武士道の逆襲」の著者である管野氏も認めている。それについては「明治武士道」という言い方をしていて、必要とされた理由や作り上げられる経緯についてはおおむね上記の論文と重なっている。 

 また、上記「明治期日本における武士道の創出」には出てきていないが、明治に入って一旦武士的なものを滅ぼす必要性があった大きな理由として、明治に入ってからの軍制の変更というのを指摘している。
 それまでは武家政治が長く続いていたために、民衆にとっての武力とは各諸侯の私兵である武士を意味していた。ところがそれでは統一国家である日本の軍隊とするには都合が悪い。諸侯の連合軍という形態をとっていたのではいつ分裂するかわかったものじゃないからね。現に西南戦争という例もあるし。

 兵権を律令国家以来の形、天皇に返すという形、にするためには武士というものは否定されなければいけなかった。しかし、戦闘者としての武士の強さ、については認識していたし、その戦場における規範というのは軍を維持するためには必要なものだったので、その部分は採用せざるを得なかった。

 こういった明治武士道の成立過程については、「武士道の逆襲」の中では最終章で詳しく説明されている。

 余談だけど、ちょうど明治武士道の創出と大体同じ時期に、神前結婚というのも始まっている。どっちもキリスト教の影響が感じられるのが面白い。今、日本の伝統と思われているものの多くがこの時期に作られたのかもしれないね。

 そして、「明治期日本における武士道の創出 」には明治期以前には武士道は存在しなかったとしているけれど、菅野氏はその立場には立っていない。実際に中世から近世にかけて確かに存在していた武士達が、自らの理想像、目指すべき姿というものに無自覚であったと考えるのは不自然だと思うので、私もやはり「本来の武士道」と呼べるものはあったと思う。言葉としては無かったかもしれないけれどね。
 
 そしてこれは、アキラさんのコメントへの返答でもある。ここで武士道といっているのは、その自体において武士達が理想像として思い描いていたものであるので、実際に武士が存在していた時期の武士道であるというのが答えだ。
 当然、社会環境が変われば理想像も変化するのだけど、戦闘によって身を立て名を残す、ということを基本原理として生きていた人たちのものであるということが根本にある。

 それから済みません、落し差しについてはちょっと分かりません。がみさんか南郷さんのフォロー待ちです(^^;
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