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シン・ゴジラ

言ってしまえば、ゴジラ対日本政府
これまでもこのテーマで描かれた作品はあった、例えばゴジラvsビオランテなどはゴジラvs自衛隊ってタイトルでもいいんじゃないかという作品であったが、今作が画期的なのは、その視点を「公」に限定したところにある。
同じように視点の限定が画期的でありながら、方向が真逆のクローバーフィールドと比べてみるのも面白い。

それは、登場人物の会話の中にすら家族の影がほとんど見えないという徹底ぶりである。
おかげでウエットな描写に時間を取られる事なく話を進められ、また、事態に当たる人々のストイックな献身を描けている。特に序盤のあのテンポは、この割り切りが無かったらできなかったろう。

だが、少しやりすぎた。あまりにも徹底したために、ゴジラに対峙する人たちの私的な動機が全く見えなくなっている。守るべき者は「国民」や「国」という言葉で語られ、そこに「家族」や「恋人」「友人」といったものが含まれているようには感じられなかった。

そこはスクリーンの外を想像しろという事かもしれない。

しかし、登場人物を増やして、ドラマとして尺を取るのは無理でも、画面に滲み出させる事くらいできたのではなかろうか。

例えば、こんなのはどうだろう。ゴジラ対策に集められたイレギュラーズが対策本部に大量に私物を持ち込むシーンを挟む。それは家族の写真だったり、お気に入りのフィギュアだったり、不眠不休で守りたりものの象徴。このチームで戦う事を決意した、個人的な動機。
そして、あの中盤で、退去した無人の対策センターの中で、それらがゴジラの炎で焼き払われる絵を入れる。

こんな形で表現する事もできたと思う。

また、こんな風にも思う。

あの極限状況で、自分の仕事を全力でストイックに進める。そこに私的なものを挟まない。
それをリアリズムと言い、理想と取るなら、その見方は、一方を削ぎとった偏ったものだ。観た直後はそうでもなかったけれど、時間が経った今では、あの中で描かれていた日本のリアルは手放しでは受け入れられないなと思っている。
身も蓋もない言い方をすると、度を越した献身が気持ち悪い、集団の力を見せるにしても、みんなもうちょっと自分勝手でいいんじゃないの?

とはいえ、描かれた世界が好きであるかどうかに関わらず、傑作である事は揺るがない。そんな風にも思うのだ。

そういえば、庵野監督に対する私の評価ってずっと、「演出と設定は最高、でもストーリーとセリフは気にくわない」だった。単純に好きとは言えないけれど、否定もできない人だったんだよね。
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