Non-Fiction(Remix Version)
音楽とプログラミングと武侠ものがメイン。
やはりそろそろなんだろうか?
気がつけば、あすから6月。もうWWDCも目前なわけだが、ここにきて、日本でのiPhone発売開始の噂があちこちで出回ってきている。
林信行に聞く、iPhone日本発売はいつ?(前編)
林信行に聞く、iPhone日本発売はいつ?(後編)
本田雅一の「週刊モバイル通信」日本版iPhoneの登場がもたらすもの
あまり期待しすぎると、外れたときにがっくりきそうなのだが。それでも今回は信じてもいいような気がする。実は最初アメリカ国内のみで始められていたiPhoneのデベロッパープログラムが、最近になって日本国内のデベロッパーも参加できるようになってきたというのもある。
確かにiPod Touchがあるから、それだけを対象にしてアプリを作るケースもあるかもしれないが、本命はiPhoneだろうから。それを考えれば、そろそろ発売の目処が立ってきた、と考えてもおかしくない。
なにより、Google Mapがどこでも使えるようになる、というのが一番あり難いんだよね。(GPS携帯を持っていても道に迷う私にとって、気休めくらいにしかならないのではないか、というのは考えない事にしておこう)
林信行に聞く、iPhone日本発売はいつ?(前編)
林信行に聞く、iPhone日本発売はいつ?(後編)
本田雅一の「週刊モバイル通信」日本版iPhoneの登場がもたらすもの
あまり期待しすぎると、外れたときにがっくりきそうなのだが。それでも今回は信じてもいいような気がする。実は最初アメリカ国内のみで始められていたiPhoneのデベロッパープログラムが、最近になって日本国内のデベロッパーも参加できるようになってきたというのもある。
確かにiPod Touchがあるから、それだけを対象にしてアプリを作るケースもあるかもしれないが、本命はiPhoneだろうから。それを考えれば、そろそろ発売の目処が立ってきた、と考えてもおかしくない。
なにより、Google Mapがどこでも使えるようになる、というのが一番あり難いんだよね。(GPS携帯を持っていても道に迷う私にとって、気休めくらいにしかならないのではないか、というのは考えない事にしておこう)
タグ : アップル
エイリアン展
昨日は友達と一緒にお台場の未来科学館に「エイリアン展」を見に行っていた。
科学未来館は初めて行ったのだけど、都内とは思えないスペースの使い方にまずびっくりした、無駄に広い(笑) いや、いいんだけどね。なんか貧乏性になっていた自分に嫌気が差したと言うか(^^;
さて、肝心の展示の方なんだけど、せっかく撮影OKだってのに、写真撮ってくるの忘れた……orz
いやだって、こういうのって大抵写真だめじゃないですか? まあ、写真があったとしてもブログにアップしていいのかどうかというのは別の話ではあるのだけれど、うーん、失敗したなぁ。
リンク先を見てもらえば分かるように、展示は全部で四つのゾーンに分かれていて、それぞれ、”空想としてのエイリアン”、”科学としてのエイリアン”、”エイリアンの世界”、”エイリアンとの交信”と名づけられていた。
このうち最初のゾーンはちょっと期待外れと言うか、割と流れが読めちゃってつまらない感じ。全体から見ればそれほど多くのスペースを割けるわけじゃないから、一般向けの説明になっちゃうのはしかたないか。あんまりマニア向けにしても引くだろうし(^^;
二番目のゾーンと三番目のゾーンは結構面白かった。「科学としてのエイリアン」では生命の多様性と、その生息環境というのが、人間が考えているより遥かに幅広いということが展示されている。ところどころ展示のキャプションが妙なノリになっているのが、なんか変であったが(^^;
三番目のゾーンが一番面白かったかな。CGを使って架空の星の生態系を表示してくれている。「風の谷のナウシカ」とか「地球の長い午後」とかが好きな人だと気に入るかもしれない。ただこちらは地球由来ではないから、体の基本構造に仕掛けがしてあったりと、芸が細かい。
四番目のゾーンは、あんまり目新しいところは無かったような。SETIとか地球外へのメッセージの送信とか、以前からやってることはそれほど進歩してないような。もっともこれって、すぐ答が出るような話ではないというのは分かるんだよね。人間の感覚であれば百年って長いけれど、宇宙規模で見ればほんの一瞬にすぎないから、三十年とかそこらじゃまだまだなんだろうな。
もうすこしディープなのが見たかった気もするけれど、それはまた別の機会にということで。またこういうのやらないかなぁ。
科学未来館は初めて行ったのだけど、都内とは思えないスペースの使い方にまずびっくりした、無駄に広い(笑) いや、いいんだけどね。なんか貧乏性になっていた自分に嫌気が差したと言うか(^^;
さて、肝心の展示の方なんだけど、せっかく撮影OKだってのに、写真撮ってくるの忘れた……orz
いやだって、こういうのって大抵写真だめじゃないですか? まあ、写真があったとしてもブログにアップしていいのかどうかというのは別の話ではあるのだけれど、うーん、失敗したなぁ。
リンク先を見てもらえば分かるように、展示は全部で四つのゾーンに分かれていて、それぞれ、”空想としてのエイリアン”、”科学としてのエイリアン”、”エイリアンの世界”、”エイリアンとの交信”と名づけられていた。
このうち最初のゾーンはちょっと期待外れと言うか、割と流れが読めちゃってつまらない感じ。全体から見ればそれほど多くのスペースを割けるわけじゃないから、一般向けの説明になっちゃうのはしかたないか。あんまりマニア向けにしても引くだろうし(^^;
二番目のゾーンと三番目のゾーンは結構面白かった。「科学としてのエイリアン」では生命の多様性と、その生息環境というのが、人間が考えているより遥かに幅広いということが展示されている。ところどころ展示のキャプションが妙なノリになっているのが、なんか変であったが(^^;
三番目のゾーンが一番面白かったかな。CGを使って架空の星の生態系を表示してくれている。「風の谷のナウシカ」とか「地球の長い午後」とかが好きな人だと気に入るかもしれない。ただこちらは地球由来ではないから、体の基本構造に仕掛けがしてあったりと、芸が細かい。
四番目のゾーンは、あんまり目新しいところは無かったような。SETIとか地球外へのメッセージの送信とか、以前からやってることはそれほど進歩してないような。もっともこれって、すぐ答が出るような話ではないというのは分かるんだよね。人間の感覚であれば百年って長いけれど、宇宙規模で見ればほんの一瞬にすぎないから、三十年とかそこらじゃまだまだなんだろうな。
もうすこしディープなのが見たかった気もするけれど、それはまた別の機会にということで。またこういうのやらないかなぁ。
憎みきれないろくでなし/沢田研二
ハードボイルドと言うスタイルは「男の子」は結構憧れたりするものだが、今の御時勢、それを選ぶのはかなり危険である。よっぽど決まっている人でもなければ、夢想家で見栄っ張りの馬鹿がカッコつけてるだけ、と見破られてしまうだろう。いや、今に限ったことではなかったのかもしれない(笑)
というわけで、映画「カサブランカ」の有名なセリフをもじってカッコつけてみたところで、無駄だったんだよね。
まったく、ろくでなしだわ(^^:
そういや、「カサブランカ・ダンディ」って曲もあったね。この人はこういうハードボイルドくずれの曲がなんだか似合う(褒めてるのか、それ?)
作詞:阿久悠
作曲:大野克夫
というわけで、映画「カサブランカ」の有名なセリフをもじってカッコつけてみたところで、無駄だったんだよね。
傷つけ合うのが嫌いだからと
ずるずるみんなをひきずって
最後にあなたはあなたは
どうするどうするつもり
恋に埋(うず)もれ死ぬ気でいるの
まったく、ろくでなしだわ(^^:
そういや、「カサブランカ・ダンディ」って曲もあったね。この人はこういうハードボイルドくずれの曲がなんだか似合う(褒めてるのか、それ?)
作詞:阿久悠
作曲:大野克夫
参入障壁
例えばApemanさんのところで、
「南京大虐殺のことはよく知らないんだけど、肯定派も否定派もどっちもどっちだよね」
なんてコメントを書いたら、どんな反応があるかというのは、まあ多少想像力があればわかるだろう。こういうタイプの人に、どっちもどっちと言いきれるだけの根拠を揃えて出直してこい、と返して、ちゃんと調べて来る人は皆無に等しかったりもする。これは新書の二冊も読めばアウトラインはつかめる話なのに。そして、あそこにはちゃんと南京事件の資料へのリンクまで貼ってあったりするのに。
なぜか、そんな手間をかけることすら惜しんで、三十分で読めるまとめを作れ、とか言い始めた人もいるんだよな。忙しいんだから、手間をかけさせるなって言いたいんだろうか? 別に首を突っ込んでくれ、なんて頼んだわけでもないのに。
そりゃあ、いままで南京事件について書かれた全ての論文を読んでこい、だとか、中国語の資料にもあたれ、なんて無茶苦茶なハードルを課しているんだったら、一般人お断りの仲間内の議論とか言われても仕方ないけど、新書二冊なんてせいぜい二千円だし、一、二日あれば読める程度の手間すらかけずに、何か価値のあることを話せるなんて、どうして思えるのか不思議で仕方がない。
実際に、Apemanさんがキレて、三分で読めるまとめエントリーをあげて見せたんだけど、そこについてるコメントを見れば、三分程度で読んだ内容をもとに、なんか身のある議論ができるわきゃないだろう、というのは良くわかるはずだ。
私は、こういうときに「よく知らないけど」なんて断るのは、「これから私の言う言葉には何の価値もありません」と言ってるようなものだろうと思う。
ただまあ、歴史上の事件のように、ちゃんと専門家が調べて、一般の人向けにわかるように解説書を書いている場合と違って、ネットの揉め事レベルだったりすると、なかなかアウトラインをつかむのも難しいけどね。だったら、せめて自分が何をどこで知ったかくらいは前提として提示しておかないと、やっぱり何言っても意味がないんでないの?
それが参入障壁だって言うんだったら、入ってきてくれなくて結構です。
「南京大虐殺のことはよく知らないんだけど、肯定派も否定派もどっちもどっちだよね」
なんてコメントを書いたら、どんな反応があるかというのは、まあ多少想像力があればわかるだろう。こういうタイプの人に、どっちもどっちと言いきれるだけの根拠を揃えて出直してこい、と返して、ちゃんと調べて来る人は皆無に等しかったりもする。これは新書の二冊も読めばアウトラインはつかめる話なのに。そして、あそこにはちゃんと南京事件の資料へのリンクまで貼ってあったりするのに。
なぜか、そんな手間をかけることすら惜しんで、三十分で読めるまとめを作れ、とか言い始めた人もいるんだよな。忙しいんだから、手間をかけさせるなって言いたいんだろうか? 別に首を突っ込んでくれ、なんて頼んだわけでもないのに。
そりゃあ、いままで南京事件について書かれた全ての論文を読んでこい、だとか、中国語の資料にもあたれ、なんて無茶苦茶なハードルを課しているんだったら、一般人お断りの仲間内の議論とか言われても仕方ないけど、新書二冊なんてせいぜい二千円だし、一、二日あれば読める程度の手間すらかけずに、何か価値のあることを話せるなんて、どうして思えるのか不思議で仕方がない。
実際に、Apemanさんがキレて、三分で読めるまとめエントリーをあげて見せたんだけど、そこについてるコメントを見れば、三分程度で読んだ内容をもとに、なんか身のある議論ができるわきゃないだろう、というのは良くわかるはずだ。
私は、こういうときに「よく知らないけど」なんて断るのは、「これから私の言う言葉には何の価値もありません」と言ってるようなものだろうと思う。
ただまあ、歴史上の事件のように、ちゃんと専門家が調べて、一般の人向けにわかるように解説書を書いている場合と違って、ネットの揉め事レベルだったりすると、なかなかアウトラインをつかむのも難しいけどね。だったら、せめて自分が何をどこで知ったかくらいは前提として提示しておかないと、やっぱり何言っても意味がないんでないの?
それが参入障壁だって言うんだったら、入ってきてくれなくて結構です。
忠言耳に逆らう
対句になってる「良薬口に苦し」に比べると、こっちを聴く機会って少ない。それはもしかすると、この言葉の持つ権力構造の違いによるものではないかと思ったりもする。
「良薬口に苦し」が使われる場面は、ほとんどのケースが上から下に向かってであろう。大人から子供へ、医者から患者へ、苦い薬を飲み下させるというのは、常に強いものから弱いものにという方向性がある。
一方で「忠言耳に逆らう」の方だが、忠言が諌言と言い換えられることもあるように、下から上へという性格がある。もちろん、教師が生徒に向かって使う場合のように、上から下に向かって使われることもあるんだが。
子供に「苦い薬」を飲ませることよりも、子供に誤りを指摘されて素直に改める事のほうが、心理的には難しいんだろう。「忠言耳に逆らう」が使われることの方が少ないのはそのためではないか。
さてどうやら、都教委とかいう組織も、この心理的傾向からは逃れられないようで、「良薬は口に苦し」とばかりに現場に向かって口を出すことは簡単でも、諌言を受けることは好まないらしい。学校の先生だったらそんな連中にこそビシッと言って欲しいと思っていたら、どうやら実践してくれた人がいるようである。
撤回要求:現職校長、都教委に…職員会議の挙手禁止通知 - 毎日jp(毎日新聞)
というわけで、教育的見地からもこの校長先生を応援したい。自由の風ネットワークというところで、この先生にエールを送り、都教委に「忠言耳に逆らう」と言ってあげる署名を行っている。
5月14日(水)までなので、賛同されるかたは、是非。
署名先
1
2
3
「良薬口に苦し」が使われる場面は、ほとんどのケースが上から下に向かってであろう。大人から子供へ、医者から患者へ、苦い薬を飲み下させるというのは、常に強いものから弱いものにという方向性がある。
一方で「忠言耳に逆らう」の方だが、忠言が諌言と言い換えられることもあるように、下から上へという性格がある。もちろん、教師が生徒に向かって使う場合のように、上から下に向かって使われることもあるんだが。
子供に「苦い薬」を飲ませることよりも、子供に誤りを指摘されて素直に改める事のほうが、心理的には難しいんだろう。「忠言耳に逆らう」が使われることの方が少ないのはそのためではないか。
さてどうやら、都教委とかいう組織も、この心理的傾向からは逃れられないようで、「良薬は口に苦し」とばかりに現場に向かって口を出すことは簡単でも、諌言を受けることは好まないらしい。学校の先生だったらそんな連中にこそビシッと言って欲しいと思っていたら、どうやら実践してくれた人がいるようである。
撤回要求:現職校長、都教委に…職員会議の挙手禁止通知 - 毎日jp(毎日新聞)
というわけで、教育的見地からもこの校長先生を応援したい。自由の風ネットワークというところで、この先生にエールを送り、都教委に「忠言耳に逆らう」と言ってあげる署名を行っている。
「教育者としての信念を貫かれる校長先生に敬意を表し、
都の理不尽な通知に反対する市民と保護者のアピール」
2006年4月に都教委が「職員会議において『挙手』『採決』等の方法を用いて職員の意向を確認するような運営は不適切であり、行わないこと」を都立学校に通知したとき、私たちは本当に驚きました。教育現場で日々子どもたちに接している教職員の意見を聞く場がないようなところで、子どもたちを大切にする教育ができるわけがないからです。
この通達は、「校長は管理者であって教育者である必要はない」という都(知事)の意向を色濃く反映したものであり、教育を上意下達の場にし、子供たちにも上から言われたことに疑問を持つことを許さない、または疑問を持っても口に出すことを許さない学校を作るためのものであるとしか考えられません。
しかし、学校現場では、都教委の言うことに異を唱えれば、校長先生をはじめ、教職員は身分や経済的保障をも奪われかねないような事態が2003年頃から発生しています。教員が、現在の都教委の方針が正しいと思っていなくても、それを意思表示できない状況であることはだれの目からも明らかであり、どんなにばかげた通達であっても従わざるを得ないという、まさに都の目指している方向に事態は進んでいるのだと、私たちは半ばあきらめの気持ちで都立学校を見つめてきました。
こんな学校では、子どもたちは自分で考えて行動することも、まわりの友人たちと共に考えて行動することもできなくなる、こんな教育が続くのならば東京の子どもたちの未来はどうなるのだろうと暗澹たる気持にもなりました。
ところが、そんな状況のなかで、きちんと声を上げている校長先生がいらっしゃることを知り、私たちは本当に嬉しく、感動しました。そして、東京の教育も良識を取り戻す可能性がなくなったわけではないことに、またこのように「教育者」として深い見識をそなえた校長先生が都立学校に存在しておられることに、私たちは救われる思いです。
校長先生や教職員がきわめてまっとうな意見を述べることに対し、都教委は「事情聴取」や「処分」といった圧力を加え続けていることを私たちは知っています。こんな「恐怖政治」とでもいえるような教育行政は今すぐやめてほしいと心から願っています。また、間違った通達はすぐに撤回し、教育の場が真に子どもたちのためにある本来の姿に戻してほしいと強く願っています。
声を上げてくださった校長先生に心から敬意を表するするとともに、わたしたち保護者や市民も都教委の横暴に対し、きちんと声を上げ続けていく決意です。
5月14日(水)までなので、賛同されるかたは、是非。
署名先
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