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碧血剣 第十三集~第十五集

 結局、ほとんど一気に見てしまった(^^; あの引きは反則だよ。

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碧血剣 第十集~第十二集

 アクションシーンでは武器を持ってやり合うことが多い本作品。それも得物は刀剣類だけじゃなく、いろいろとバリエーションが豊富である。そして、ちゃんと武器に合わせた立ち回りが工夫されていて楽しい。竹の棒をギューンとしならせておいて、その反動で打撃の威力を増したりとか。

碧血剣 第七集~第九集

 今回、ステキ爺たちが沢山登場。いやぁ嬉しいねぇ。

碧血剣 第四集~第六集

 金蛇郎君祭り絶賛開催中(笑)

碧血剣 第一集~第三集

 注文していたDVD-BOXが届いたので、さっそく見始めているところ。主人公の袁承志が最初からかなり強いというのが、今まで見てきた金庸原作物とはちょっと毛色が違う感じ。
 それとアクションシーンがけれん味たっぷりで派手。だけどきちんと戦っている感じはするな。オープニングとエンディングが各話ごとじゃなくて、ディスクの最初と最後に入っているパターンなので、油断してるとついつい見続けてしまうのは困りものである(笑)

 時は明朝末期。後金の侵略に対抗していた明の名将・袁崇煥は、後金皇帝ホンタイジの謀略によって、謀反の濡れ衣を着せられてしまう。官軍によって袁崇煥の一族が皆殺しにされる中、唯一生き延びた息子の袁承志は、華山派総帥・穆人清のもとに預けられた。そして十二年の歳月が過ぎ、修業を積んだ袁承志は崋山を降り、父のかつての部下達の元に……。

 ストーリーを追って行くとまた一話あたりが長くなるので、断仇谷同様、DVD一枚あたり、各キャラクターごとに感想なんかを書いていこう。

WARS -Reprise-/PSY・S

「ATLAS」というアルバム、私は大好きなんだが世間の評価はいまいちだった。確かに、前作Non-Fictionに比べると癖のある曲が多いアルバムではある。中でも一番強烈だったのはこの曲ではないだろうか。
 ラップ……になるんだろうが、なんだかやたらとテンション低めに始まる上に、後半に入ってからの盛り上がり方も、それから歌詞もちょっとばかり怖い。
Wars and kisses make me want to cry
Your voice and smiles are nothing but weapons

 高揚感とか無いんだけど、なぜかひたすら耳に残って離れない。これがアルバムの最後の曲だと言うのだから、それはそれは奇妙な後味を残してくれるのである。

作・編曲:松浦雅也
作詞:安則まみ
アルバム:
ATLAS

勇ましき魚

 実を言うと私は反捕鯨派である。それも科学的根拠に基づいて、というわけじゃなくて心情的なもの。なんてことを書くとものすごく叩かれそうなんだが、本当なのでしかたない。

 捕鯨は文化って言うけれど、でも日本って国は「全ての動物は神が人間のためにお作りになったものだから、人間の好きにしていい」とか言い出すような”野蛮な一神教”を信じてる人はずっと少数派だったわけだよね。
それどころか、けものだけでなく虫だとか植物、はては無生物にいたるまでその中に神性を見ちゃうようなアニミズムの国で。さらにそこに仏教経由で”慈悲”だとか”輪廻”なんてものまで入ってきたおかげで、
「たとえケダモノと言えども、むやみやたらと殺しちゃいけない。殺さなくて済むんだったら、なるべく殺さないようにした方がいい」って考えるのが、日本の文化だったんじゃないかな。しないですむ殺生だったらしないほうがいいってね。阿弥陀仏。

そう考えると、もはや日本人にとって必須の蛋白源なんてものではなくなっているクジラ肉をとるために、南氷洋まで殺しに行くというのは、ずいぶんと罪深い話なんじゃないかな。

Apemanさんのところのコメント欄でseiryu95さんが書いているように、
日本での需要が少ないというのは、日本が捕鯨をしない理由にはなっても、捕鯨を禁止する理由にはならない

というのは確かに正論だとは思うんだけど、殺さなきゃならないという、かなり積極的な理由がない限り、殺さなくてもいいんじゃない? というのが正直なところである。
反捕鯨国って、既にクジラのことを水産資源としては見てないと思うんだよね。大型野生動物だと考えているんだとしたら、同じような見方(積極的な理由がなければ殺すことを認めない)という考えになってるんではないかな。

追記:このエントリーを書く気になった直接の動機は、こちらのガイア教の天使クジラの一連の記事を読んだことによる。
確かに、急進派というか過激派の反捕鯨グループに一神教的ヒエラルキー思想があるというのは、多分その通りだと思うが。他方で、南氷洋での商業捕鯨というのは、日本人の伝統的な宗教風土から見ても異質なんじゃないのか? とも思うんだわ。
別にクジラを人間よりも上位に置かなくても、「むやみに殺生をすると仏罰が下る(笑)」という発想は出ないんでしょうか? 日本人にとってはクジラは魚? いやん、そんなこと今更信じてないくせに(笑) 

笑傲江湖 人物伝/莫大先生

 チャンネルNECOの再放送を見ていて、この方のことを書くことを忘れていたのに気がついた。なんてこった!

キーノートについて少し考えて見た

 MacWorldのキーノートスピーチと言うのは、私みたいなアップルファンにとっては、年の初めのお祭りであるわけだが、一晩明けて頭を冷やしてから、いろいろと考えたことなど。
 まずは、一番注目を集めたのはどうしてもMacBook Airということになるだろう。昨日も書いたように、私としてはこの機種は全くターゲットに入らないわけなんだが、それにしてもここまで思い切った仕様にしてくるとは。プロセッサとかハードディスクとかはともかく、インターフェースが無線系を除くとUSB一つという割り切り方は半端ではない。
 一台目のマシンとして買うようには考えていない、というかこの機能を使うこと前提で考えてるんじゃないかな。搭載されているOSがleopardでなければ、そして家に母艦になるマシンがなければ、かなりできることが限られてしまいそうだ。
 でもこれ、どこでもMy Macが使える状態だと印象が一変しそうだ。MacBookの方にはアプリケーションと、当座に必要なデータだけ入れておいて、出先では自宅のMacにアクセスして作業する。もちろんそのためには、無線LANにアクセスできる環境が整備されていないと意味ないんだけどね。iPod Touchのこともあるから、無線LAN網がもうちょっと整備されてくると面白くなりそうなんだが。そういう意味では、少し未来を見すぎなマシンのような気がする。もうちょっと妥協しても良かったんじゃないか。

 Time Capsuleは今度は逆に今すぐにでも欲しい。leopard発売当時、ノートユーザーにとって最大の難点だったのが、Time Machineのバックアップ先にNASが選べないことだった。それが解決されるというのは嬉しい。もうちょっと早く出て欲しかったな。

 iPhone,iPod Touchは本命は二月に出るSDKだと思っているので、今回のはその前哨戦という感じかな。もうすぐイレギュラーな手段を取らなくてもアプリケーションが入れられるようになるわけだよね。信じていいよね?(まだちょっと不安(^^;)

 しかし、実は一番うらやましかったのは映画レンタル開始なのであった。うちの母親は結構映画好きなんだが、DVDを買ってまで見るという感じではない。かといってレンタルに行くのもねぇ。レンタルショップって在庫を持たないといけない関係上、どうしても偏りが出てしまうわけで。こういう配信レンタルっていうのはうまいこと仕組みを作れば供給側も視聴者側も両方ハッピーになれる。アップルのやり方は、本当にうまい落とし所を見つけた感じがする。
 ただなあ、日本じゃ実現の望みが薄そうなのがなんともねぇ。映画のダウンロード販売もまだだしねえ。パッケージ化するほど数が出ないけど、確実に見たい人はいそうなソフトって結構あるはずで、それを死蔵しておくのは非常にもったいない話であるのだが……。
 

背面が美しいのは

 アップル製ノートパソコンの伝統。ということでうわさ通り登場したMac Book Air
 相変わらずアップルらしい割り切り方ですこと。結局のところ、これは長いこと登場しなかった”サブマシーン”。二台目として買うものなんだよな。その他の製品は全て、それ一台で完結するような製品だったのだよね。Mac Bookにしても、持ち運べるデスクトップと言う感覚で使う人の方が多いだろう。

 わたしゃ、メインマシンがMacBookになっているので、カッコいいとは思うものの、欲しくはない。今メインマシンがデスクトップだったら考えるかもしれない。(実物に触れた後でも、なおそう思うかは定かではない(笑))

 むしろこっちの方が気になる存在。

長くブログを書くということ

 もうそろそろブログを書き始めて三年になる。横の月間アーカイブを見ても、まあこの飽きっぽい私がよくも今まで続けたものだ、なんて思ってしまうものだけど。


武侠音楽

 カテゴリーを武侠ものにするか音楽にするか悩むところ(笑) 結局音楽で。
 武侠物に嵌まり始めて、まだ一年とたってはいないけれど、すっかり魅力に嵌まってしまった。ドラマ自体も面白いのだが、主題歌、挿入歌などの音楽にもまた魅力的なものが多く、幾つか紹介しておきたいなと。

 まず、現在チャンネルNECOにて再放送中の「笑傲江湖」から。オープニングは歌無しのあっさり目だけど、謎の叫び声(笑)から始まるエンディングテーマはかなり強烈。名前もドラマタイトルと同じく「笑傲江湖」。男性ヴォーカル部分と女性ヴォーカル部分で印象が一変するのも面白い。
 このドラマ、もともと音楽がテーマになっていることもあって、挿入歌も良いのである。笑傲江湖というのはもともと曲の名前、そして劇中でこの「笑傲江湖」が演奏されてるときに使われていたのが「天地作合」(ちょっとややこしいね)。挿入歌とはいえ、これも大事なテーマ曲である。
 それから忘れちゃいけないのが、「有所思」。個人的に武侠物No.1ヒロインである聖姑様が令狐冲に送った歌。実はエンディングテーマよりもこっちの方が好きだったりする。

 武侠ドラマの音楽と言えば忘れちゃいけないのは「天地都在我心中」。傑作「射雕英雄伝」の主題歌である。前に一度エントリーを書いたこともあるけれど、これも名曲。オープニング映像とも見事にシンクロしていて、スケールの大きなこのドラマを盛り上げてくれる。自然に胸が熱くなってきますな。体が動いちゃう人(笑)がいるみたいだけど、それも納得である。「射雕英雄伝」はエンディングテーマ「真情真美」もしみじみしていて良い曲である。

 私にとって「天地都在我心中」と双璧を成すのが「七剣下天山」のエンディングテーマである「空船」だ。毎回、ハードなストーリー展開の続いたこのドラマに、余韻を感じさせるこの曲がかかると本編の効果倍増。ドラマの登場人物達の過酷な運命に思いを馳せずにいられない。あ~ゆ~ あゆえあゆ~

 年末に見た「断仇谷」のオープニング&エンディング「我自痴狂」「問紅顔」の二曲もまた、物語との相乗効果がたまらない。ドラマが進むにつれて、歌詞の中に託された意味が徐々に視聴者に浸透してゆくという体験は、やっぱり連続ドラマを見続ける楽しみの一つだろう。最終話を見終わった後、「問紅顔」の流れた後のシーンを想像してしまったりもした。

 ドラマ本編は酷評したものの、大旗英雄伝のオープニング主題歌「在動難逃」も悪くない。これから始まる物語への期待を高めてくれる(のはいんだが、肝心の本編が……(^^;)

 どこかで、これら武侠ドラマの曲をまとめてCDで発売してもらいたいものである。

上善如水

 こう書くと日本酒の銘柄になってしまうか(これでもいいらしいけれど)、上善は水の如し(上善若水)は老子の言葉。いやね、水を使って道徳を説こうとかっていう運動があるという話をだいぶ前に聞いて、もうとっくに下火になったものとばかり思っていたんだけど、そうでもないようである
 しかし、水の物質としての特性を使って、人の道を説くのであれば、なぜ本家本元であるこちらを使わないんだろうね。結晶がどうたらこうたら言うよりは、遥かにこっちの方が良いではないか(笑)
 優れている点は二つほど、一つは水の特性を間違いなく捉えていること、言葉をかけると奇麗な結晶ができる、なんて科学的知見に反したスーパーナチュラルなことは言ってないのだ。昔の人と侮るなかれ、これは冷徹な自然観察から出た言葉である。
 もう一つは、”水の如し”と水の特性に託して人の道を説く、言っている側が”これは比喩であって、水の性質がそのまま人の性質に直結してるわけじゃない”ということを分かっているということだ。一億歩くらい譲って、「ありがとう」と水に声を掛けたら奇麗な結晶ができたとして、それが人に対して「ありがとう」と声を掛ける理由になる、なんてことは言っとらんのよね。

 というわけで、どうしても水を使って道徳の授業がしたいのであれば、こちらを使いましょうよ。

 ちなみに、物質としての水の特性というやつ、これがなかなか一筋縄では行かないくらいに面白いので、「ありがとう」なんて声をかける暇があったら、こういう本でも読んだ方がいいぞ。そして、こちらを読んでから「上善若水」に戻って見ると、またいろいろと味わい深かったりするんだな。

否定論者の最後の逃げ場所

 以前にも何度か取り上げた、マイクル・シャーマー「なぜ人はニセ科学を信じるのか」の中にこんな一説がある。
否定論者は、(中略)論争にことごとく敗れると、今度は、ナチのユダヤ人に対するあつかいが、ほかの国々が敵の国民に対して示すものとなんら変わらないというふうに論点をすり変える。

ー第14章 どうすればホロコーストがあったことがわかるのかー より

 今回も、あちこちのエントリーのコメント欄で、その典型的な例が繰り返されている。

じゃ、3分で読めるようにまとめましょう - Apes! Not Monkeys! はてな別館
南京事件否定論は基本的にトンデモ - Close to the Wall
愛国とか言うなら、まず否定論が他国の対日感情を悪化させる上に他国に政治カードを与えてしまうという現実を認識すべき - 模型とキャラ弁の日記

 相殺の為に引き合いに出されるのは、チベット問題だったり、ベトナム戦争時の韓国軍の残虐行為だったり、さまざまではあるけれど、やってることはほとんど変わりがない。
 実際、この手法は今回に限らずあちこちで見かける。私は、冒頭に挙げた一説が頭に残っているので、これを見かけるたびに「ああ、もう反論できなくなったのね」という感想を持っちゃうんだけどね(^^;
 これで相手を黙らせようとするというのは、結局のところ「お前の悪事は見逃しといてやるから、こちらの悪事にも目をつぶっていてくれ」と言う話でしかない。そして、これは相手方にも同じ口実を与えることになってしまうのだから、引き合いに出された問題(例えばチベット問題)に、真面目に取り組んでいる人たちにとっても、大迷惑なんだが、それは理解してるんだろうか?

それがどれだけ有害か、例えばApemanさんのところのこちらのエントリー
相殺の論理と普遍性の論理 - Apes! Not Monkeys! はてな別館
で、引用されている吉田裕氏の言葉などを見ればわかると思う。

*お断り:冒頭の引用で”否定論者”とあるのは、ホロコースト否定論者のことです。このエントリーでは、歴史修正主義者と同じ意味で使ってます。

アナロジーじゃなくてさ

 正月からなんだか、南京事件関係で大騒ぎになっていたりするわけで、いったいどうしたことなんだろうという感じである。ちと、全部を紹介するのは大変なので、青狐さんのところあたりにリンク貼っとこう

 ところで、どうもmujinさんのまとめ脳のエントリーで、「まん延するニセ科学」が引用されているのに対して、「歴史修正主義をニセ科学に喩えている」と思っている人が結構いらっしゃるみたいなんだが(気のせい?)

 アナロジーとかじゃなくて、歴史修正主義って立派なニセ科学ですよ? (立派なニセ科学というのも変な言葉だが)

 以前に関連して書いたエントリーがあるので、リンクしときます。
科学とニセ科学
なぜ人はニセ科学を信じるのか/マイクル・シャーマー
しゃれになりません

 これって結論の問題ではなく、手続きの問題なので、秦氏のように、ある分野ではそうでなかったとしても、別の分野でニセ科学の領域に入ってしまうパターンはありうるんだよ。これは、自然科学の分野でもある話。

*ネタとしてニセ科学を使う、例えば、SFのネタとしてID論を使うとか言うのは問題ないとしても、生物の教科書に進化論と両論併記させろ、なんて話になったらまずいよね。
 

Who Killed Cock Robin?

 年末に碧猫さんのところで知った、文部科学省の悪あがきに関して、今更のツッコミを入れるというのもなんだか時機を逸したような気がするのだが……。
 なんか連中はいやに歯切れの悪い結論を出したようである。以下は上記エントリーからの孫引き、元記事は朝日新聞のサイトから、
日本史小委は、沖縄戦や軍事史の専門家9人に意見を求めたうえで、(1)集団自決が起きた要因として、軍の関与は主要なもの(2)軍命令で行われたことを示す根拠は確認できていない(3)住民側から見れば、自決せざるを得ないような状況に追い込まれたとも考えられる――という「基本的とらえ方」をまとめた。


 しかしまあ、よくもこう歴史修正主義者に媚を売った方針を出すものだ。文部ニセ科学省と改名した方がいいんじゃなかろうか。

(1)における「軍の関与」という用語は、従軍慰安婦問題のときにも使われており、これが否定派によって「強制ではない」と読み替えられるのは当然予測される。現に、あちこちでそう主張している人たちがいる。
(2)は(1)との合わせ技みたいなもので、”軍が直接軍命令を出したという証拠はない”から”関与であって強制ではない”と主張する。しかし、この”軍命令”ってのは一種の詭弁なんだ。彼らがイメージさせようとしているのは、軍隊に作戦行動を取らせるためのもの。軍から軍人に向けての命令である。故に、発令できるのは司令官のみ、なんてことを言い出したりするわけだ。
 ところが、この場合は軍人ー>民間人なので、軍隊の命令系統に乗ってるわけじゃない。常識的に考えて見ればわかりそうなものだが、平時であればいざ知らず、戦時、それも敵と交戦中の戦地において、たとえ一兵卒であったとしても軍人から言われたことを民間人が”命令”と受け取らない、なんてことはあり得ないだろう。そしてその”命令”が文書として残ることもまずない。

 こういうことを書くと、末端の一兵士が行ったことまで軍の責任にするのか、なんて言い出す奴もいるのだが、それは取らないといけないのだよ。なぜなら、沖縄戦の基本方針が住民の生命財産よりも、戦争に勝つことにある、などと言っている以上、個々の兵士の判断が住民の生命軽視に傾いたことの責任は取らないといけない。組織の規則と言うのは全てを明文化できるわけじゃない。明文化されていないことについては、それぞれの個人が、より上位の規則なり法則なりから類推するものだ。ならば、それぞれの判断がこの基本方針から逸脱してないなら、最終的には責任は組織に来る。

 ところが実際はといえば、個々の兵士が、上層部の基本方針に逆らって住民を救ったケースをもって、軍は悪くないとか言い出すアホもいるので始末に負えないのだが。

 余談になるけれど、従軍慰安婦問題にしろ、この沖縄集団自決問題にしろ、まともな企業のコンプライアンス教育を受けたことがあれば、軍や政府の責任が無いだの軽いだの言えないと思うんだけどね。

(3)に関しては、その奥歯に物の挟まったような言い方はどうにかして欲しい。その状況に追い込んだのはいったい誰? 戦略的に見れば降伏の時期を逸し、とうに勝機など無くなっているのにもかかわらず、ずるずると戦争を続けたのは誰? 兵士達にまともに国際法も教えず、捕虜になることを禁じたりしたのは誰?
 Who killed?
 答は出てるんじゃないの?

参考:長勇第32軍参謀長の談話 

本年もよろしく

 喪中につき、初詣でだとか年始参りなどもなく、暇だけはたっぷりある年明けとなりました。
 昨年は、思いもがけず武侠ドラマに嵌まってしまい、ブログの傾向まで一変してしまいましたが、本年もよろしくお付き合いくださいませ。
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