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(Shooting Down)The Fiction/PSY・S

 もう八月も終りだというのに、まだまだ暑い日が続く。さすがに朝晩はだいぶ涼しくなってはきたけれど。
 私にとってNon-Fictionというアルバムは夏、それも盛夏のイメージがあるのだけど、個々の曲には特別に”夏”という季節を歌ったものはこの曲以外は無いんだよね。
 で、前にも書いたことがあるけれど、PSY・Sの曲って夏を連想させながら”暑い”というより”涼しさ”を感じさせる事のほうが多かったりする。例えば”Long Distance"とか”Wondering up and down"なんかがそう。
 そんな中でこの曲はちょっと例外で、暑さ、それも都会の暑さのイメージがある。たぶんかなり印象的なギターのリフと、”Shooting Down the Fiction"のコーラスからそんなそんな風に感じさせられるんじゃないかと思っている。
Shooting Down the Fiction
じれったいから
今を抱いてね
寝苦しい夏の夜の恋の歌。


作詞:サエキけんぞう
作曲:松浦雅也
アルバム:
Non-Fiction
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世界珍虫図鑑

 最初に断っておくけれど、私が虫が苦手である。特に細長くてうねうね動くある種の虫は背中におぞましいものが走るのを押さえられない。だけど、昆虫という生物種が適応の過程で身につけたあまりにも多彩で華麗な生態には驚きと共に魅力を感じずにはいられないのだ。

 この本は、それら昆虫たちの中から105種を選んで、その生態を美しいカラー写真と共に解説している。タイトルに”珍虫”とあるけれど、絶滅の危機に瀕した希少種や、生態が特別に変わっていて目立つ虫を集めたわけではない。数ある昆虫の種類について”目”のレベルで全てを網羅する形で紹介することで、彼らの適応の多様性や、生物進化の歴史について判るように解説している。また、人間とのかかわり合いについても触れることで、単なる昆虫図鑑とはならず、より身近な存在として昆虫たちを見るようになるだろう。(虫嫌いの人にとっては悪夢かもしれないけれど(笑))
 だからといって、決して堅苦しい本ではない。昆虫の進化や分類、人間を含む他の生物との生態系の中での役割から、種の発見に至までの経緯や、人類の歴史や文化に対する影響など、多彩な話題には飽きることがない。中には、「モスラ」(あの怪獣映画に登場するあいつののことである)の分類学上の考察から、ガの進化の歴史を解説するなんて項目があり、中でしれっと
また、翅の斑紋には目玉模様が認められる、これは多くのガで外敵(主として鳥)を驚かすために発達したものであることが知られているが、これをもつモスラを捕食する生物の存在は確認されていない。(可能性として翼長500m程度の鳥類の存在を示唆する研究者もいる)
なんてことを書いてたりする。(研究者ってだれだろう?)

 もちろん、この本には例のゴで始まるあいつもちゃんと登場しているのだが、彼らがシロアリとは近隣種であるとか、夫婦で子育てをする種類があるとか、ちょっとびっくりするくらい綺麗なのがいるとか、これだけ身近な昆虫ながら、初めて知ったことが多すぎる。美しいゴキブリとして紹介されているウスバネミドリゴキブリなんて、これが同じ仲間? と思うくらいに綺麗。いや、形はゴキブリそのものなんだけどさ(笑)

 背筋をむずむずさせながら、そのあまりにも面白い生態に引き込まれてしまうこの本は、むしろ虫嫌いの人にこそお勧めなのかもしれない。

七剣下天山/飛紅巾

 武侠ものにはツンデレさんはつきものなんだろうか? なんだか非常に高い確率で遭遇しているような気がする。

再販!!!!(ちょっと出遅れた(^^;) 

 PSY・Sの初期~中期の5アルバムが再販されます。これがなんとリマスター版、しかも松浦雅也監修!
 特に最初の二枚(Different View,PIC-NIC)はまだCD黎明期だったこともあり、音はいまいちだったので、リマスターは嬉しい限り。しかも松浦さん自身が監修とは。期待しちゃうじゃないですかぁ。

 完全限定生産だそうですよ。予約しときましょう。
 再販されるアルバムはこちらの五枚、それぞれ2,500円。えっ、私? そりゃもう予約済みですよ。あたりまえじゃないですか(笑)
  • Different View/PSY・S
  • PIC-NIC/PSY・S
  • PSY・S Presents "Collection"
  • Mint-Electric/PSY・S
  • Non-Fiction/PSY・S
  • 七剣下天山  傅青主

     主人公の七剣士の中でも別格の強さを見せつけるスーパーヒーロー。滅茶苦茶カッコいいじいちゃんである。

    パール判事――もう一つの典型

     昨日放映されていた「NHKスペシャル|パール判事は何を問いかけたのか ~東京裁判・知られざる攻防~」を見そびれてしまった。22日の深夜に再放送ということなので覚えておこう。
     実は昨日の夜になって黙然日記さん経由でこちらの記事を知ったのであり、放映しているのを知った時点で間に合わなかったのだけど。本の方は今日購入して読み終わったところである。

     パール判事といえば、自称愛国者の人たちが好んでこの人の言葉を引用して「日本は悪くなかった」という時の根拠にしていたりする。だが、上記の紙屋研究所の書評にもあるように、パール判事は日本の行為を決して肯定してはいない。むしろ、戦犯たちの無罪を主張する時に使ったロジックは、日本の帝国主義をも否定していると考えた方がいいだろう。
     それだけではない、現在彼らが主張しているような九条見直しだとか、対米従属路線(慰安婦に対する謝罪決議案のためにだいぶ揺らいでいるみたいだが)なんてのも批判の対象だろうし、イラク戦争支持なんて、もしパール判事が存命していたら許しがたい行為として激しく批判されたことは間違いない。

     パール判事は「平和に対する罪」と「通常の戦争犯罪」の二種類について、東京裁判で裁かれた戦犯たちに対して無罪を主張しているが、その理由はそれぞれ違う。「平和に対する罪」については戦勝国によって作られた事後法であり、勝者があとから法律を作成して敗者を裁くようなことをすればこの裁判が「勝者による敗者への復讐」と認識されてしまうことを指摘している。これに関しては中島氏はこのように述べている。
    それは「戦争に勝ちさえすれば、自分たちの思い通りに裁判を行なうことができる」という誤ったメッセージを世界に敷衍し、その結果、「侵略戦争をしてはならない」という意識よりも、「戦争に負けるとひどい目にあう」という意識だけを高めることになるからである。(中島岳志『パール判事』P.112)

     ゆえに「平和に関する罪」については法廷で犯罪として裁くことはできないとしている。が、これは日本が行なった戦争を肯定するものではない。元になっているロジックは、「戦争=軍事的暴力によっては正義は行なえない」というものであるのだから、「アジア解放のための戦争」などという欺瞞を許してくれるはずがない。
     私がパール判事がイラク戦争を支持しないだろう考えるのも同じ理屈だ。国連による支持も得られずに始められた戦争による解決など、彼が望むはずがないだろう。
     一方で通常の戦争犯罪については、この時点で既に国際法が確立しており、国際法廷で裁くに値するものとしている。さらに、南京虐殺を始めとする戦時中の日本軍による残虐行為、捕虜の虐待については、それらを全て事実と認め、「残虐な非道」「鬼畜な行為」という厳しい評価を下している。
     だが、その上で被告となったA級戦犯容疑者については刑事責任を負わせるに足るだけの証拠が得られず、犯罪の立証ができないとしているにすぎない。そう、パール判事を持ち出して南京虐殺についての責任回避をしようなんてのはまるっきりの的外れ、自爆なのだ。ここにもこちらで述べた歴史修正主義者の議論の一つの典型が見られることがわかるだろう。
    3.自分たちの意見に説得力を与えるために、有名な主流派の言葉を断片的に引用する。
     

    *パール判事はガンジーの思想を支持する平和主義者であり、日本の平和憲法の支持者でもあった。その一方で共産主義に対しては終始厳しい批判を行なっていた、というのも今回初めて知ったことを付記しておく。

    いま風の中で/影山ヒロノブ

     2002年に放映されていた戦隊シリーズ「忍風戦隊ハリケンジャー」のエンディングテーマである。戦隊ものと言えばメインターゲットは就学前から小学校低学年くらいの子供なわけだが、だからといって軽く見てると時々びっくりするくらいの名曲があったりする。
     この曲も、シンプルで直球な歌詞を、力強いメロディーで歌いあげたロックバラード。なんといっても、スケールの大きなテーマを正面から受け止めているところが魅力だ。1コーラス目の、
    かけがえのない この青き地球(ほし)の
    痛みのサイン ぼくらへのSOS

     を受けての2コーラス目の歌い出しにもそれが現われている。
    心と心が 響き合えたなら
    無限のパワー ひきだせるシンパシー

    あきらめない あの途方もない夢を
    追いかけたい この世界の果てまでも

    「途方もない夢」というのが何かはだいたいわかるよね。

     曲の性格上、TV放映された短いバージョンしか聴いたことのないひとも多いと思うけれど、後半多いに盛り上るので、ぜひフルバージョンも聴いて欲しいところ。
    作詞・作曲:高取ヒデアキ
    編曲:籠島裕昌

    否定論者の一つの典型ー誤りと嘘の区別がつかない人

     以前のエントリー「しゃれになりません」の中で、歴史修正主義者の使う手法ととして例示したものに、
    1.みずからの見解に関する最終的結論をほとんど述べずに、相手の弱点を集中攻撃する。たとえば、否定論者の場合なら、目撃者の証言に見られる不一致を重点的に攻めようとする。

    というのがあるのが、しばらく前にハムニダ薫さんのこちらのエントリーでその典型的な例を見た。紹介されている記事の中の
    島での訓練は単純だった。船に「海のカミカゼ」と呼ばれる特攻艇を2台載せ、洞窟の中に隠したり海に浮かべたりする訓練を繰り返した。特攻艇とは、爆弾を設置した魚雷型の小さな潜水艦に乗り、敵の艦艇に本体をぶつけて自爆する船のことだ。

     に対して、浜濱さんという方がこのようなコメントをつけた。
    あまり言いたくはないことなのですが、この方の言っていることが真実なのか疑問を持ちます。なぜなら、話のなかに明らかに嘘をついているからです。特攻艇は魚雷型であったということは回天のことなのでしょう。
    それ以外ありませんし。で、回天は本来、大型潜水艦の艦載艇ですが、潜水艦不足より基地回天隊が組織されました。沖縄には第一回天隊が配備が決定しましたが沖縄への輸送中に米軍に撃沈されています。
    以後、沖縄には回転は配備されていません。カン氏は何を取り扱っていたのでしょう?これは明らかな嘘ですよ。嘘をつく人を信じられますか?

     先に断っておくが、沖縄に回天が配備されていなかったと言うのは正しい。この部分の記述には確かに知られている史実との不整合はあるわけだ。しかし、そこから一気に「カン氏が嘘をついている」という結論に飛んでしまうのは無茶苦茶である。
     この記事は「その時代を生きた人から、現代の記者が証言を聴きだし、記事としてまとめたもの」であって「証言そのもの」ではない。そうである以上、そこに含まれている史実との不整合がすべて証言者によるものである、などとこの記事だけから断定できるわけがない。しかもこれが意図的につかれた「嘘」であり、証言者は嘘つきであるから証言自体が信用できないなどとは、いったいどういうつもりなんだろう。
     そして、上記のように記者がまちがっている可能性を指摘したところ、返ってきたのはこんな返答だった。
    ならば、この記事は正確に調べもせず書かれた与太話の類なのですね。書き間違いや、聞き違いを主張されるなら。

     これが歴史学者の書いた論文であるならそういう評価もあるだろうが、これは新聞記事だからね。勉強不足を指摘することはできるだろうけど、与太記事扱いはさすがにないだろう。海上特攻艇なんて、日本人にとってもそれほどよく知られた存在ではないわけだし。

     誤解して欲しくはないのだが、通説とされている史実を全く無視して、この記事に書かれたことをすべて真実として認めろ、などと主張する気は毛頭ない。誤りや不整合があれば批判しすることは必要だろう。だが一部の不整合を理由に、証言全体を否定するのは不当な行為である。(これに関しては以前に書いた「証言=嘘」説と史料批判も参照してほしい。)


     

    嵐のように

     一つ前のエントリーで、「半分まで見ました」などと書いてたけれど、もう最後まで見終わってしまった。ラストの10話くらいは一気に。だが、実はこれはまだ上編であり、物語の前半部分。とはいえ、一つの決着はついた状態で終わっているので、区切りとしては悪くない。以下結末のネタバレを含む感想なので、未見の人は読まないほうがいい。
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