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感謝とそれから……

 前回エントリーに上げた共同声明だけど、ハムニダ薫さん村野瀬玲奈さんの協力を得て、韓国語版フランス語版が加わりました。
 賛同署名も本日(2/28)21:30現在で57名を数え、声明文の方に記載されている24名と合わせて81名となりました。こうやってエントリー書いている以外には何にもしてない私が言うのも何ですが、ご協力、ご賛同ありがとうございます。

 そしてApemanさんとKaetzchenさんのこちらでのやりとりについて少し思うところを。
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瞳の中の少年/種ともこ

 この間は、見送られる側の曲だったので、今度は見送る側の曲を選んでみた。
 少年っぽさって何だろう? たぶん、いままで経験したことのない物事への態度なんじゃないだろうか。未知のものへの怖れよりも好奇心の方が勝っているようなところ。もちろん男の子に限った話しではなく。
 それは一歩間違えると”世間知らずのガキ”になってしまうんだろうが、風に誘われて海の向こうへ渡ってしまうような”少年”たちがいなければ、人類はこんなにも世界中に広がってはいないだろう。

カシオペア座は
星空へのステイション
そこまではお見送りにいかせてね


このフレーズ。はじめて聞いた時は、恋人の視線だったけれど、最近の「ウタイツガレルウタ」に収録されているバージョンではすっかりお母さんの視線になっているような。

作詞・作曲:種ともこ

南京事件否定論に反対する日本のネットワーカーの共同声明

 遅くなりましたが、前に書いた共同声明が公開されています。
日本語版
英語版
中国語版
 英語版、中国語版は翻訳のブラッシュアップを行なっていく予定ですので、表現が変わることがあります。もちろん大意が変わることはありません。また、今回海外への発信ということを主目的のひとつにしています。英語、中国語以外の各国語への翻訳も、手伝ってくださる方がいらっしゃれば、やりたいと考えてます。

 こちらのページで賛同の署名を受け付けてます。特に自分のブログやWebページを持っていない方でも結構です。共同声明公開にあたっての経緯については、Apemanさんのこちらのエントリーや、私のこちらのエントリーを参照していただければと思います。

 それから、もう一つ、kuronekoさんの所で知った、こちらの署名も賛同される方はぜひ。

なんでこの人たちは次から次へと

「大和民族が統治、日本は同質的な国」講演で文科相 : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 伊吹文部科学相は25日、長崎県長与町で開かれた自民党長与支部の大会で講演し、「大和民族がずっと日本の国を統治してきたのは歴史的に間違いのない事実。極めて同質的な国」と発言した。

 さらに、同法改正を説明する中で人権をバターに例え、「毎日バターばかり食べていればメタボリック症候群になる。人権は大切なものだが食べ過ぎれば日本社会は『人権メタボリック症候群』になる」と述べた。

 最近CSで再放送のアイアンキングなんかを見ているせいで、「大和民族が統治」なんて話を聞くと、全身タイツ姿で変なヘルメット被った男に襲われるんじゃないかとドキドキしてしまうぞ(笑)
「極めて同質的な国」とか言っているが、単一民族国家とか言いだしたのは戦後からだったんだけどな。むしろ戦前は、日本は多民族国家という認識で、それを同質の価値観でまとめようとして失敗していたはずだ。私は別に明治維新以降の日本の近代化の流れを全部否定しようとは思わないけど、どうしてこう失敗したパターンばっかり懐かしがるんだか、理解に苦しむ。ひょっとしてマゾ?

 後半の「人権メタボリック症候群」というのもすごい話だ。どっちかっていうと、バターが足りないような気がするんだが、特にキヤノンの御手洗さんとか。この上、バター控えめの食事で社会に出る若者が増えたら、ますますやりたい放題になるんじゃないのではないか。

 なんでこう、おかしなこと言う人ばっかりなんだろうね。

See-SawでSEE/PSY・S

 シーソーっていうのは縦に揺れるものだと思うけれど、この曲はどういうわけだか横に揺れたくなってくる。だから、シーソーに乗っているというより、揺れているところを見ているような感じ。
 どっちつかづで決められなくて、上がったり下がったりの繰り返しだけど、そんな距離での付き合いも、慣れてしまうと意外と楽しいのかも。
世界はSee-SawでSEE
どっちつかずで いいじゃない
世界はSee-SawでSEE
たぶん いつでも大丈夫さ

 あなたがどっちを選んでも、世界はたぶん揺るがない。だからもうちょっとこのままで。なーんてのは、ちょっとずるいかもしれないけどね。

作詞:永森羽純
作・編曲:松浦雅也
アルバム
ATLAS

酩酊しております

 先日買ったこいつですが、酒とつまみを用意して、もう一度。
 予想していた通り、い~い感じで酔えます。あ~、幸せだぁ。

 Chakaさんとか杏子ねえさんは期待通りとして、前にもちょっと書いたけれど、ZIGGYの森重さんと、PEARLの田村直美さんが良すぎ! 声フェチの気がある私としては素面の状態でもけっこうキておりましたが、お酒の入った状態ではメロメロになってしまいました。

 いろんな意味で、酔っぱらえます。心を亡くしちゃうような時には、ちょっと時間をとって大人の楽しみ、なんてどうでしょう?

ウルトラマンティガ 第11話「闇へのレクイエム」

 いろいろと思うところがあって、なんとなくこのエピソードを見返したくなったのだ。以下、あらすじとか、考えたこととか。

うちゅうひこうしのうた/坂本真綾

 宇宙飛行って、最近じゃ地球のすぐ近くをぐるぐる回るくらいになってしまったけれど、やっぱり他の天体に向かって飛んで行くようでないと”宇宙飛行”って感じがしない。
 何にもないところを、他の星を目指して飛んで行く。地球だって、他の星と同じくらいに小さく、いやもしかしたら見えないくらいに。そんなときって、やっぱり思いだすのは大地の匂いとかなんだろうか? まだ、ふるさとを忘れてないってことを。
空の青さ 重さ 時間の果てしなさ 地球の遠さ
コンピューターのかすかな唸り……
あなたの育てた トマトの匂い

 私が生きている間に、もう一度くらい人間が他の星に足跡を残すところを見たい。自分じゃ行けそうもないけれどね。

作詞:一倉宏
作曲:菅野よう子

バビロン5/第57話「甦ったアーサー王」

原題「A LATE DELIVERY FROM AVALON」
マーカス「おやおや。じゃあ、彼もマーリンではないと言うんだな?」

三年目突入

 ブログを書き始めてからちょうど二年が経過し、三年目に突入。二年目はずいぶん読みにきてくれるひとが増えました。ありがたいことです。

 その時々で書きたいことを適当に書いているんですが、カテゴリ別にちょっとこの一年を振り返ってみます。

Pop Meets Jazz

 Pop meets Jazz Selection 1
 きゃらさんや、マイミクのKenくんがチェックしてたので購入。もちろんCHAKAさん目当てなんだけど、他もいろいろおいしい。 
 で、今観てるところ。後で感想を書いとこう。
 
 見終わりました。お腹いっぱい(笑)。
 いや、明日仕事って時に観るもんじゃないような気がする。休日前の夜にでも、呑みながらゆっくり観たいところ。
 しかし、みんな流石っていうか、うまいね。あたりまえだけど。
 ついこの間とりあげた”ETERNAL WIND"が入っていたのも嬉しいけれど、”GLORIA”とか”ゆずれない願い”とかもかなりキましたよ。
 今週末にでももう一回。

体重計が壊れました(^^;

去年の秋に買った体重計が壊れてしまいました。乗っても体重表示が変わらないの(;_;)
保証期間中で良かった、のかな? 
えー、ちなみにこのエントリーを書いてから今までで、体重にして約6キロ、体脂肪率にして7%程度減らすことに成功(^^)v

ヒトという生物/生物としてのヒト

 こちらのエントリーでのバイリニアさんとのやりとりで、どうも話が噛み合ってない。これはもしかして話の前提が違っているのではないかという気がしている。

 とりあえず「健全/不健全」という言葉の妥当性については置いておく。私が「子供を持とうとしないのは生物として不健全」という言葉をどう解釈したかというと、「生物と言うのは全て子孫を残す為に生きているのだから、それを行なわないというのはおかしい」と読んだのだ。一般論としての”生物として”という意味にとったわけ。
 なので前回のエントリーでは、”生物が子孫を残す為に生きているのは確かだが、そのために全ての個体が子孫を残そうとするわけではない。「子孫を残すために自分の子を持たない個体」というのがありうる”というのを示したのだ。

 しかし、「子供を持たないのは生物として不健全」はもう一つ、「ヒトという生物として不健全」と解釈することもできる。つまり、一般論ではなく、個別の生物という意味で。もしかしたらこう解釈する人の方が多いのだろうか。それならハチだの狼だのを持ち出されても「はぁ?」となるのはもっともだ。

 じゃあ、ヒトという生物として不健全かどうかを考えてみよう。と、その前に、「健全」の意味は「子孫を残そうとする行動を取っているか」という点でのみ判断する(ここで言う「子孫」は自分自身の子供を意味しない。種全体となると、それはまた違うので、ちょっと定義がゆるいが同族くらいにしておく)。だから、バイリニアさんの「健全」の定義とは初めからずれがあるんだよね。ここは、私が「生物として」というのに注目しているということで、容赦して欲しい。

 さて、生物全般としてやはり「子孫を残す」というのが生物の行動の主目的になっているのは確かだ(というか、基本的にそういう行動を取る種しか生き残れなかったのだが)。だがその手段にはかなりのバリエーションがある。

 自分では動けない卵の時代や、まだ成長しきっていない幼年期というのは、他の生物に食べれたりして、死んでしまう可能性が高い。この段階で全滅されてしまっては次世代に子孫を残せなくなってしまうので、いろいろ対抗策をとることになる。とれる手段は大別して「死ぬことを見越してたくさん産む、そのかわり育てることには手をかけない」と「子供が一人前に育つように面倒を見る、そのかわり一度に産む数は少なくする」の二つの方針がある。実際には完全に二分されるというというよりは、その両極端の間のどこかに位置することになるわけだ。
 
 そして、子供を育てるタイプの生物にもいろいろある。片親だけが面倒を見るもの、両親が育児に参加するもの、両親以外の成体を含むグループで子育てをするタイプ。ハチやアリは出産と育児の個体を別にして、完全に分業するというタイプになる。なんかこれ、人間の家族のパターンのようにも見えるね。

 この中で、ヒトという生物はグループで子供を育てるタイプになる。今は核家族化が進んで、両親や片親だけで育てているようにも見えるが、実はそうではない。
 この形態をとるメリットは子育てに関するリスクとコストをグループ全体に分散できる、ということにつきる。このケース、子供を一人前にするまでに手間がかかるケースがほとんどである。こういう場合、育てるものが親だけであれば、子供を外敵から守りながら、自分たちの分だけではなく子供の分の食糧も確保しないとならない。また、子供が独り立ちする前に親が死んでしまえば子供も道連れになってしまうのが常だ。だが、グループで育てていれば、子供を養う労力は他の個体に分散できるし、万一親が死んでしまっても、代わりのメンバーが育児を引き継ぐことができる(野生生物が、親が死んだ子供の養育を引き継ぐがどうかは、私は知らないけれど、どうなんだろう、興味のあるところだ)。グループ内で子供を持っていない個体というのは、余剰労働力であり、万が一の場合の保険にもなっているのだ。

 日本で核家族化が進んでいるとはいえ、子育てする親の負担を分散させたり、親に万一のことがあった場合に面倒を見たりするシステムまで放棄したわけではない。現在の人間もやはり、グループで子供を育てる生き物なのだ。そしてこういう生物では、子供を持たない個体である、というだけでは「健全ではない=子孫を残そうとする行動をとっていない」とは言えない。

 実は、バイリニアさんのところで、「じゃあ、カトリックの神父様は不健全なの?」というようなコメントを残したのだけど、教会のような宗教施設が、捨て子や孤児、未亡人といった人たちのシェルターとして機能してきたことも考えてみて欲しい。上で書いたような万が一の場合の保障機構になっているってことがわかると思う。

諦めと勢い

gegenga師匠にコツを教わったので、再チャレンジ
んー。諦め8割、勢い2割ってとこでしょうか(^^;
次回頑張ります、勢い多めで。

懺悔します

 実を言うと、8年前の都知事選挙のときには、石原慎太郎に一票入れてしまいました。ごめんなさい、反省してます。だって、あのときはこんなDQNジジイだと思わなかったんだもん。

サヨナラ 石原都知事

 こう並べられると改めてうんざりする。前にもgegengaさんところなどで書いているけれど、何が情けないって、この男が世襲の独裁者なんかじゃなくて、民主的な選挙で選ばれた我らが首長だってことだ。
 なんか一言喋るたびに、都民の品格が疑われそうな気がする。今度こそ、この”と”知事とはサヨナラしたい。どうか都民の皆さんお願い、こいつの三選だけは阻止しよう。いいかげん恥ずかしい思いをするのはいやです。

Apemanさんからの共同声明に関する提案

こちらより転載。

■[南京事件]ちょっとした提案
映画 Nanking に対するネガティヴ・キャンペーン(および関連ブログへの荒らし行為)については、最近も当ブログのコメント欄で ni0615 さんからご報告があった通りです。旧軍を免罪したいという動機をもつ人間にしか通用しない議論が海外で影響力を持つということはまず考えられず、その限りでは特に心配することも無いと思うのですが、他方で“歴史修正主義勢力のプロパガンダに対して日本の市民からの非難が起こらない”という風評が海外で広まることは日本の国益に反します。従いまして、 Nanking に対するプロパガンダ(および荒らし行為)に抗議するネットワーカー)の共同声明(英文)的なものを公表してはどうかと思い、ここに提案させていただきます。とはいえ、なにぶん日本では未だ上映されていない映画ですので観てもいない映画にコミットするのは無責任であり、また南京事件否定論に与しないという点で一致している人間の間にもさまざまな見解の相違は存在します。それゆえ共同声明の内容は共同声明の賛同者が 1) 映画Nanking について虚偽の情報(アイリス・チャンの著作に基づいている、といった)によるネガティヴ・キャンペーンが展開されていることを批判する、2) 1937年晩秋~38年初頭にかけて南京およびその近郊で日本軍による諸々の蛮行があったことは(その正確な規模はともかくとして)疑いもない事実であると考える、3) 南京事件否定論はアカデミックな領域においては完全に破綻したものとして認識している、といった点を中心とした一般的なものにとどめるべきかと思います。声明をどのようなかたちで表明するか、文案は誰がどのように書き誰が英訳するか、名義をどのようにするか(主たるコンテンツとして南京事件を扱っているネットワーカーを声明の主体としてリストアップし、自身のブログやウェッブサイトで南京事件を扱っているわけではないが趣旨に賛同していただけるネットワーカーを「賛同者」としてリストアップする、といったことを考えています)…といった問題は残りますが、ご意見をコメント欄にて頂戴できれば幸いです。
なお、以上の一文は各所への転載を歓迎致します。


 少し補足します。映画Nankingというのはアメリカで制作された、南京事件(南京大虐殺)を題材としたドキュメンタリー映画です。しかし、「南京大虐殺をなかったことにしたい人たち」にとっては、こういう映画が公開されることは非常に気に入らないことのようでした。そのため、この映画に対して「反日プロパガンダ映画である」というネガティブキャンペーンを行なってきました。(産経新聞によって行われたレッテル貼りの例
 そして、そのキャンペーンを真に受けた人たちは、こともあろうに海外のブログを荒らすという、とても恥ずかしい行為をしているというわけです。国内だけでやっているならまだしも、海外にまで恥さらしな行動を知られてしまう。日本人として、という言葉はあまり使わない私ですが、さすがにこれはかなり恥ずかしい。

 というわけで、Apemanさんの提案に賛同させていただきます。もし、このエントリーやApemanさん、青狐さんのエントリーを読んで、同じように感じられましたら、ご賛同、ご協力をお願いします。

ニコイチ 2巻/金田一蓮十郎

 以前に「続きが気になって仕方がない」なんて書いていたのだが、知らない間に二巻目が出ていた。どういう話なのかは、前のエントリーを読んでもらうとして、1巻目は、主人公の須田真琴が、彼が思いを寄せている藤本菜摘から告白されるところで終っていた。告白と言っても、彼本来の男の姿じゃなくて女装している方なんだけど(^^; というわけで菜摘ちゃんのほうは同性愛だと思っているわけだ(笑)
 そして、どんどん接近してゆく女(?)二人。一緒に温泉に行くわ、クリスマスには家にお泊まりするし、息子の崇くんともうまくやってるみたいで順調そのもの……ってちがーう(笑)
 女性の姿で仲よくなればなるほど、本来の男の方がどんどん窮地に追い込まれていくわけで、最大のライバルが女性の姿の自分自身というなんだかよく判らない状態で、幸せなんだか不幸なんだか。
 
 さて、またもとってもいいところで、つづく、になってしまった。このペースだと次はまた一年後くらいかなぁ。

M氏の幸福/遊佐未森

 アルバム「ハルモニオデオン」の中の一曲。このアルバムには「ハルモニオデオンの森」という短編小説がついていて、これはその中に登場する「モー博士」という人を歌った曲。とは言っても小説読まなくても充分楽しめるんだよね。
 一人で住んでる変わり者で、あんまり人付き合いもなくて、でも実はすごい人だという。ツボにハマったのはこのフレーズ。
腕に銀猫肩に黒猫
ぎらぎら瞳光らせ
二匹の猫は他の誰にも
なつくことない

 あやしい。なんだこの人(笑) 肩に黒猫ですよ。

 こういう人に、私はなりたい(ほんとに)

作詞:工藤順子
作曲:外間隆史

バビロン5/第五十六話「バーの婚約者」

原題「SIC TRANSIT VIR」
バー「実は一本目もまだなんです」

生物として健全

 柳沢厚生労働大臣の「若い人たちは、結婚したい、子どもを2人以上持ちたいという極めて健全な状況にいる」という発言を批判している人のところに、「子供を二人以上持ちたいというのは、子供を持ちたくないというのに比べて生物として健全」あるいはもっとはっきり「子供を持とうとしないのは生物として不健全」という趣旨のコメントを残して行く人を何人か見かけた。
 だが、これは誤りなのだ。なぜなら人間はホッキョクグマやベンガルタイガーではないから。

 そりゃもちろん、「すべての個体が子供を残そうとしない」のであればその生物種に関しては滅びるしかない。「健全」という言葉には価値判断が含まれているから、あんまり使いたくはないのだけど、確かにこの状態では種族が滅亡してしまうのだから健全ではないといってもいいかもしれない。しかし、ある個体が子供を残そうとしない、と言うケースは存在する。

 まずは極端な例だ。ミツバチとかアリの社会はどうなっているか。生殖能力を持っているのは一匹の女王と少数の雄。残りは生殖能力を持たない雌ばかりである。ここでは遺伝子レベルで積極的に”子孫を残さない個体”というのが社会の中に組み込まれている。もっとも彼女らの場合、群れ全体がひとつの生物と考えてもいいくらいになってしまっているからかなり特殊な例ではある。ハチやアリでもここまで高度な社会性を獲得していないものはいるから、もともとはすべての個体が生殖能力を持っていたのが、自然淘汰を続けるうちにこのような適応形態になったのだろう。あえて言ってしまえば、このような生物においては、”子孫を残さない個体がいること”によって群れ全体の健全さが保たれているのだ。

 さすがにハチだのアリだのでは人間から遠すぎる。こんなの参考にならない、と思うかな。では、狩猟生活を行なっていた頃の人間と極めて近い生態を持っていると考えられている生き物を紹介しよう。狼である。

 狼の生態についてこちらこちらを見てみると、群れの中で子供を作っているのは群れの上位にいる一組の夫婦であって、他の個体は生殖能力を持ちながら子供を産んでいない。彼らは群れの中ではベビーシッター役になったりしているわけだ。おそらく野生の中で子供を育てるというのは大変なことなのだろう。群れのすべての狼が子供を持とうとしたら、へたをしたらすべての子供が死んでしまう。子供を産むカップルは一組にして、生まれた子供は群れ全体で育てる、という適応をしたのだと思われる。実際、大きな群れの中で生まれた子供のほうが生存率は高いそうだ。やっぱりここでも、子供を産まない個体の存在が群れ全体の健全さを保っている。

 最初に例にあげたホッキョクグマやベンガルタイガーのような孤独なハンターであれば、確かに子供を残そうとしない個体は種族を生き延びさせるために寄与はしない。あえて不健全と呼んでもいい。では、人間っていう種族は? いつから孤独なハンターになってしまったのだ?

 どうだろう、これでも「子供を持とうとしない個体は生物として不健全」なんて言えるだろうか? もしもこの言葉を狼が聞いたら、「ほう、それで良く群れを維持していられるな」なんて感想を持つかもしれないな。

*追記:
エントリー中で「健全」「不健全」という言葉を使ってますが、生物学として語る時にこのような使い方をするのはあまり良くないと思ってます。「生物として健全な個体」と言ったら、器質的に障碍のない個体、という意味にとるほうが正しいはず。
まあ、だからなおさら安易に「生物として不健全」なんて言って欲しくないんですけどね。
 

遠い音楽/ZABADAK

 音楽っていうのは考えてみれば不思議なものだ。以前、歌についての考察をエントリーにしたことがあったけれど、人類って言うのはいったい何時ごろから「音楽」というのを発見したのだろう。
耳を傾けて 地球(ほし)の歌うメロディ
あふれる音の中 ただひとつえらんで

 それは、雨や風の音、虫や鳥の声、自然や生命が奏でる音楽たち。人類が人となる前からずっと傍にあったのかもしれない。だとしたら、一番古い起源を持った芸術なのかも知れないね。

作詞:原マスミ
作曲;吉良和彦

面白い人

水葉さんのところのこちらのエントリーのコメント欄で、非常に面白い人に出会ったので、ご紹介。長くなるので、続きは隠します。

真昼が雪/坂本真綾

 この冬はやけにあったかくて、もしかしたらこのまま雪らしい雪を見ることなく春になってしまうのではないだろうか。もっとも、春分の頃に大雪が降ったこともあるからまだ油断できないのではあるが。
 雪ってのは降り積もってすぐは綺麗なんだけれど、何日もたって融け残った雪はちょっと侘びしい。いずれ暖かくなってしまえば融けて消えてしまうのに。
冬から春へと向かう
晴れた午後に花びらが躍る
一瞬で消えるために降る
儚い雪のような思い出

それでも、雪が融ければ春になるんだけどね。

作詞:岩里祐穂
作曲:菅野よう子

オムレツがうまく作れません(^^;

 今日も失敗したんだけど、10回中1回くらいしか成功したことがない(^^;
 いままでで一回だけ、奇跡的に綺麗にできたことがあるのだが……

 練習するしかない?

ドリームスープ/AMOR

 この曲を初めて聴いたのはアニメTo-yのBGMとしてだった。To-yというアニメは私にとってはPSY・Sを知るきっかけになったのだけど、それだけでなく、それまで聴いていたのとは違う音楽との出会いでもあった。
 最初に聴いた時にはわからなかったけれど、PSY・Sの二人に岡田徹、ZELDAの?橋佐代子とそろってるんだから、これはかなり濃厚な”スープ”であるのも当然のこと。
 この曲を聴いていると、夜の闇がとっても魅力的に思えてくる。季節で言うと春先くらい? 普通なら夜明けを望みそうなものだけど、
窓辺に夜明けを 誘い込んで
こわれた時計と どこかに置き去り

 明けない夜を楽しんでみたくなる。

作詞:?橋佐代子
作曲:岡田徹・松浦雅也
編曲:AMOR(岡田徹・松浦雅也・安部隆雄)

血統信仰

 水葉さんのところで、こんな話を知ったのだが、どうもこの件で承子さんを中傷するようなコメントを書き込んでいる人がいる(こことかこことか)。血税がどうとかというところはなんだかサヨクっぽいんだが、当然のごとく全然相手にされてない。
 騒ぐことじゃないというより、なんでこんなものが問題になるんだ? という話だと思う。問題にしているのが、文春という保守系のメディアだというのが面白い。また、男性皇族だったらどうだったろう、というのも気になるところだ。もしかしたらほとんど誰も問題にしなかった? あるいは、問題にしたのは左翼系のメディアだったかもしれない。

 ところで、先の水葉さんのエントリーには、こんなコメントがついていたのだが、
で、「皇室解体」を望んでいる人々は一気に解体できないから極力皇室と一般人との境界をなくし、「いったい皇室っていっても一般人とどう違うの?」という雰囲気に持っていこうとするから、こういうねたは歓迎なんです。だから同じ皇室ねたを扱うときでも、親王ご生誕だと税金が、税金が、とけちをつけて、皇室と一般人との区別が解消される方向のねたには賛同するんです。

 これは裏を返せば、保守側の人間にとっては皇室とか皇族というのは一般人とは違っていて欲しい、ということなんだろう。血統信仰と言ってしまっていいだろう、自らの皇族のイメージから外れた行動を取られると失望するのか。一種の”萌え”だよね、血統萌えとか王族萌えとか。

 前にこんなエントリーを書いたけれど、この日本の年表を見て「日本すげー」とか言ってしまうのにも同じような印象を受ける。皇室というのは血統信仰を強化する装置なんだろうか?

 もともと私は血統については全然価値を認めてないので、なんだか見ていて馬鹿馬鹿しい。それと、当の皇室なり皇族なりが幸せに見えない。ずっと思っているんだけどね、もっと人間として扱ってやれと。
 

Dashcodeでプログラミング(ネットワーク上のファイルにアクセスする)

 前回作製したWidgetでは、表示する画像はWidget内部に持っていた、今度はネットワーク上の画像を表示させるようにしてみよう。

太っ腹な店

今日、昼飯を食べに入った店での会計で、
「お会計470円になります」
500円玉を渡す私。
「500円お預かりします」
レジ操作の間、忘れ物をとりにちょっと席まで戻る私。レジに戻って来たところで。
「530円のお返しです」
おつりのほうが多くなってる(笑)
もちろん、ちゃんと教えてあげましたとも。(どうやらレジを打ちまちがえてたらしい)

そういえばこの店、前にも
「お会計470円になります」
やっぱり500円玉を渡す私。
「500円お預かりします。470円のお返しです」
それ、おつりじゃないから(笑)
これはレジの打ち間違いじゃないよな。

二回とも、教えてあげてもしばらく気がつかなかったんだよな。そのまま貰っても判らなかったかもね。

ETERNAL WIND ~ほほえみは光る風の中~/森口博子

 この曲、以前にも何度か聴いているはずなのだが、たまたま機会があってじっくり聴いてみたところ、今更のように良い曲だなと思った。
 私の場合、声から先に好きになることが多いのだけど、これもそうだな。彼女の声でなければここまで気に入らなかったと思う。彼女の歌う他の曲も聴きたくなった。
 もちろん曲自体も良いのだ。でもこれ、ぼーっと聞き流してるとあんまりピンとこないかもしれない。ちゃんと聴くまで判ってなかったのは、私が鈍かっただけかもしれないが。気がついたのは最後の方、
はげしい痛みは 誰のため?
それがやっと わかる気がするわ
めぐりあいは 奇跡なの
幾億の星が さまよう宇宙(そら)

ここを聴いて、「えっ、どうして?」と思ったところで、もう一度最初から聞き直したのであった。

作詞:西脇 唯
作曲:西脇 唯/緒里原洋子
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