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ガラスの明日/PSY・S

 アルバムの最後はバラード系の曲でしっとり締める、っていうのは割と定番のパターンだよね。PSY・Sのアルバムでも「Different View」とか「Signal」とか「Non-Fiction」なんかはそのパターンだ。
 でも、「Mint-Electric」の最後の曲であるこの「ガラスの明日」は、未来に向かって突き抜けていくような思いきりの良さがある。立ち止まっていられないくらいの力が、身体の内側から湧き出してくるような感じだ。
たまらない不安 胸に抱いて
たたき続ける明日へのドアを
眠れない闇も恐くないはず
通りすぎた瞬間
始まる自分が見えたなら

 不安で眠れない夜を迎えていても、それでも明日に向かっていく。「Mint-Electric」ってクールなアルバムだと思うけれど、それでもこんな熱さが隠れていたんだ、と気付かせてくれる曲だ

作詞:安則まみ
作・編曲:松浦雅也
アルバム:
Mint Electric
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その酔っぱらい方はまずいだろう

 靖国の遊就館を見学した人の感想とかプロモーションビデオ?を見た人の感想なんかを読んだのだけど、なんだか危なっかしい。
 あの戦争って、アジア人の被害者の件はとりあえず置いておいたとしても(本当はそんなわけにはいかないのだが)、日本人だけでも大量の被害者を出しているし、明治維新以来築き上げてきたものをほとんど全部失うくらいのボロ負けだったわけだよ。そんな戦争に対して、こんな酔っぱらい方をしていて大丈夫か?

 会社の仕事で考えてみよう。社運を懸けたプロジェクトで会社が傾くほどの大赤字を出してしまい、メンバーにも身体を壊したり、家庭が崩壊したり、過労死する人間まで出る始末。そんなプロジェクトをふりかって、クライアントがわがままだっただの、ライバル会社が卑怯な手を使っただのと言っている奴を信用できるか? そんなことを言った上で、「この仕事で犠牲になった人に感謝」だの「昔の社員は私生活や家族まで犠牲にしてがんばったんだ」なんて言葉に同意できるのか? 自分たちに都合の良いところだけプロジェクトXもどきのビデオ作って喜んでる場合かよ。そんなことやってないで、もちっとまともに失敗の原因を考えろって言いたくならないだろうか。

 なんかねぇ、こっちの話を読んでしまうと、靖国(とそれを支持している人)にとって、敗戦で得た教訓が「アメリカ様には逆らうな」ってことじゃないかと思えてきて、ひどく情けないんだけど。

(2007/6/21 追記:なんかアニメまで作って学校で流したそうだが……それって幸Xの科学みたい)

Power Stone/PSY・S

 CDになってからランダムアクセスが可能になり、レコードの頃に比べると曲順ってそれほど意識されなくなった。最近は、さらにiPodみたいな携帯音楽プレイヤーのおかげでその傾向はますます大きくなっている。それでも、やっぱりアルバムの一曲目の印象というのはかなり大きいのではないかと思う。いきなりシャッフルして聴くような人ってそうはいないだろうから、買ってきて最初に聴くのは一曲目だろうしね。
 この「Power Stone」は最後のオリジナルアルバム「Emotional Engine」の一曲目。私にはかなりの冒険に思えた。それは今までも新しいアルバムになるたびに「今までは違う」という風に感じてはいたのだけど、この曲はそれにも増してなんか違うように感じた。なんかその、歌詞があんまりひっかからない(^^; いつもなら歌詞のどこかを引用してるのだけど、ちとこれは難しい。

作詞:松本隆
作・編曲:松浦雅也
アルバム
Emotional Engine
 
 

バビロン5/第38話「明かされるシャドウの秘密」

 原題「IN THE SHADOW OF Z'HA'DUM」

遠い惑星

 ちょっと遅い話題なのだけど、冥王星が惑星から矮惑星に格下げになり太陽系の惑星が8個になった。冥王星というと太陽から一番遠い惑星ということになっていた(極端な楕円軌道を取っているため、海王星の方が遠くなる時期もある)。紹介したページの図では距離の縮尺が実際とは全然違うから並び順はこのとおりでも距離はもっとずっと離れている。太陽からの距離は地球に比べると40倍くらいあるので、縮尺を合わせた図にしたら、もっとずーっと左、パソコンのモニタからはみ出しちゃうね。

 こんなに遠い冥王星だけど、SFなんかでは割と近く感じることが多い。さすがに太陽系内を舞台にしたリアルな作品だとそうでもないけれど、他の恒星系まで舞台にするような作品ではそんなに遠く感じない。まあ、他の恒星との距離になるとまた桁が違ってしまうから、相対的に近くなっちゃうんだけどね
 しかし現実には人間はもちろんのこと、探査船ですらまだたどり着いてはいないのだ。冥王星に限らず、木星から先の惑星というのはかなり遠いから、人間がたどり着くのはまだまだかなり先のことだろう。でもさぁ、子供の頃の予想では、火星くらいはそろそろ行っていてもおかしくないと思っていたんだよね。しばらく前に大接近したので、あのときはチャンスだったのだけど……。

 いまのところ人類がたどり着いた他の天体は月だけ。それももうずいぶん昔になってしまった。”偉大な一歩”は記したけれど、その後が続かない。軍隊に金をかけるんだったらこっちにかけて欲しい物だ。どうせ、生産に結びつかない無駄金なんだからさ。

バビロン5/第37話「TV番組『バビロン5 36時間』」

 原題「AND NOW FOR A WORD」
 シェリダン「バビロン5の使命は平和を強いることではなく平和を作り出すことです」

殴ったこぶしの痛さ

 実は最近、仮面ライダー響鬼の写真集を買った。んで、こちら「「輝」……いい写真集じゃんかよ!(狂喜乱舞)」でandy22さんと色々コメント交わしているうちに、同じ高寺プロデューサーの作品である「仮面ライダークウガ」との共通点なんて話になった。(詳しくはリンク先のコメント欄を読んでね)

 それで、そこでのandy22さんのコメント
ところで、両作品に共通してると思われるのは、姫・童子とグロンギのことだけではなく、主人公のことにもいえると思えませんか。?「クウガ」の主人公もまた、2人。五大雄介と一条刑事。そして変身して超人的な能力を発揮するヒーローと、変身しない生身のままの男、という二人組みなのです。?私はこれらのことから、当初「響鬼」を単なる「クウガ」のバリエーションかとも思っていましたねえ。しかし、明日夢のありかたは、ことによるともっと興味深いことになっていたかもしれません。

 にちょっと反応。実は私は主人公二人組の共通点というのはほとんど認識しなかった。確かに五代雄介とヒビキさんの2人には同じような雰囲気を感じはしたのだけど。
 私にとってクウガという作品はずっと「殴ったこぶしの痛さ」を描いていたものだと思っている。それは最初から最後までずっと。確か二話くらいで五代君が「あの感じは好きにはなれない」って言っているんですよね。
 そして一条さんもその感覚は持っている。それゆえに五代君には戦って欲しくない。それを味わうのは職業として警察官を選んだ自分であるべきものだから。生真面目な人だからね。
 でも、実際に変身して戦えるのは五代君の方で一条さんではない。最初、彼が戦うことに反対していて、それでも戦わざるを得なくなったら、全力で五代君をフォローし、警察の力でなんとか撃退できるようにして彼を戦いから解放しようとする。
 この2人の関係って、一条さんの側から見るとこうだったんだと思います。これはヒビキさんと明日夢くんの疑似親子関係(というより歳の離れた兄弟とか、年若い叔父と甥みたいな関係)とはずいぶん離れているのではないかと。明日夢君はまだ殴る痛みはおろか、ストーリーが始まった時点では殴られる痛みすら知らない(途中で洗礼をうけますけれど)。
 私としては響鬼では、いろんな形の師弟関係を描きたかったのかな。なんて思ってます。あまり現代では残っていなさそうで、実は探してみればけっこうあるという。

(2007/6/21 追記:残念ながらリンク先の記事はプライベートモードのため現在は読むことができません)

か、肝臓に脂肪がぁ

本日、健康診断。超音波検診のときに、
技師「太りました?」
私「はい、4、5キロほど」
技師「やっぱり。肝臓に脂肪がついてますよ」
技師「運動してくださいね」
あはは。

バビロン5/第36話「罠にはまったシェリダン」

 原題「THERE ALL THE HONOR LIES」
シェリダン「大きな理想を守るために、小さなことには目をつぶろうとする。だが誰かに犠牲を強いなければ実現しない理想など本物じゃない」

Desert/PSY・S

 歌詞も曲の雰囲気も、明るい曲では決してないのに、なぜか不思議な心地よさがある。哀しいことにあらがわずに、そのまま身を任せたくなるような感じというのか。誰もいないところでただ一人。
All alone on the desert no one knows no one's here no one listen to me
Yes I'm wandering round the desert in my heart

 こういう感情は諦観というんだろうか。まあ、そんなときもあるだろうさ。
 ところで、前に書いた「Paper Love」と同じように、この曲もベスト版では英語版が収録されているのだけど、こちらはどっちもそれほど印象は変わらなかったな。

作詞:?橋 修/安則まみ
作・編曲:松浦雅也
アルバム
Different View
TWO HEARTS」(English Version)

バビロン5/第35話「機密を盗んだ男」

 原題「HUNTER, PREY」
 ジェイコブズ「不思議な経験をした、私が眠っている間、あの船が私に歌っていた」

一撃論の危うさ

 日華事変当時、対中国一撃論というのがあった。当時抗日運動が盛んであった中国に対して、一撃をもって屈服させてしまおうという考えである。根底には中国軍は弱兵であり日本軍が断固たる攻撃を加えればすぐに降伏してくるだろうという蔑視感情があったと思われる。しかし、相手の領土に攻撃を加えて、そのまますんなり戦争を終わらせられると考えてしまうところがおめでたい。そんなわけないだろうが。
 戦争というのは始めるよりも終わらせる方がずっと難しい。こんな自分勝手な思い込みを持ったまま戦争にのめり込んでいった日本軍は高いツケを払わされることになる。一撃で持って方をつけるはずの戦争は、泥沼の全面戦争になっていった。

 ところがこれで懲りたかと思ったら、まったく懲りてないのが救いようの無いところで、対米戦も同じような思い込みで始めてしまう。少なくともあるていど物の見えていた人々にとっては、その望みがほとんど無いことは分かっていたと思うのだが、追い込まれていたからまともな思考ができなかったのだろうか。しかし、もともと自分たちを追い込んだのはその一撃論だったのだから本当に救いようが無い。

 結局、明治維新以来約70年にかけて築き上げてきたものをすべて失うような大敗北を喫してしまうのだが、この一撃論が21世紀になって蘇ってしまうのだからあきれる。それもかつての敵国アメリカで。イラク攻撃がこの一撃論そっくりの考えで始められている。これが案の定というか日中戦争と似たような経過をたどってしまうのはね。一度目は悲劇、二度目は喜劇とは言うけれど3回繰り返すのはなんて言うんだろう。

 実は同じような危なさは適基地攻撃論にも感じるのだ。他国の領土を攻撃するということの危険性をあまりに軽く見てないだろうか。特に、相手の力を侮っていると危ないと思うんだけどね。

バビロン5/第34話「高度文明種族ルマティ」

 原題「ACTS OF SACRIFICE」

がーん

iPod落としたorz
どこで落としたか分からないよ、出てこないだろうなぁ(;_;)

バビロン5/第33話「謎のエイリアン艦出現」

 原題「ALL ALONE IN THE NIGHT」

バビロン5/第32話「地球軍第356歩兵師団」

 原題「GROPOS」

生きている兵隊さんより死んだ兵隊さんの方が大事なのね

 靖国参拝に関しては書きたいことは書いてしまったので、今更書くこともないかなとも思っていた。だけど参拝したということで最初に頭をよぎったのはタイトルのこと。
 今年、小泉首相が中東を訪問したとき、撤退間近のサマワを電撃訪問するのではないかという噂があった。節目としてちょうど良いし、一応イラク人にも自衛隊員にも一人の死者も出さずに任務を終えたのだから、ねぎらいのことばでもかけに行くのではないかと。
 でもそんなことはなく、陸自がイラクにいる間、首相が現地を訪れることはなかった。まだ空自が残っているけれど、もうすぐ任期切れなので、結局自分が派兵した所へ一度も足を踏み入れないで終わりそうだ。

 彼にとっては生きている兵隊さんをねぎらうことよりも、死んだ兵隊さんを弔うことの方が重要なんだろうか。まあ、死んだ兵隊さんは何も言わない。愚痴もこぼさないし文句も言わない。そりゃ生きている自衛隊員だって表立っては言わないだろうけれど、言ってもらうべきなんではないのかね、上に立つものとしては。

 ああ、あと中韓ざまあみろ、とかいう感情で喜んでいる人たちがいるみたいだけど、非常にわかりやすくてよろしい。要するに追悼なんてどうでもよくて、単に中国や韓国が抗議するから賛成しているんだろ? 「靖国を政治問題化しているのは反対派だ」なんてのが大嘘だってのもばれちゃったね。

バビロン5/第31話「シャドウ帝国の暗躍」

 原題「THE COMING OF SHADOWS」

バビロン5/第30話「サイ・コープスの秘密組織」

 原題「A RACE THROUGH DARK PLACES」

一気に見てしまった

 夏休みで時間がけっこうあったので、ついついバビロン5第三シーズンまで一気に見てしまった。第二シーズン後半あたりから「シャドウ戦争」のストーリーが走り出し、第三シーズンの後半にはそれまで蒔かれていた伏線が次々と明かされていくものだから、止まらなくなってしまった。
 まだ、第四シーズン以降は日本語版のDVDが発売されていないので、レビューを書きながら少しずつ見ていこう、なんて考えていたんだけど、止まらなかったねぇ。おかげで続きが気になってしょうがない。はやいとこ第四シーズン以降も発売してください。
 

バビロン5/第29話「モラーリ大使と三人の妻」

 原題「Soul Mate」

TAKE ME HIGHER/V6

 ダーウさんのところでティガ話に花を咲かせていたら、主題歌のこの曲について書きたくなった。ウルトラマンの主題歌としては異例なことに、この曲は歌詞に「ウルトラマン」という言葉が入っていない。事務所の意向だという話だ。「ティガ」という言葉は入っているが、これを入れるのもかなり大変だったそうだ。第一線のアイドルグループであるV6が歌う曲ということで、「ウルトラマン色」を曲に入れてしまうことに難色を示したのだろう。

 この曲がまさか物語のテーマと深くかかわってくるようになるとは、番組が始まった頃は思いもしなかった。
明るい未来を信じていた頃の空想科学小説のようで、でも明るい未来はだまっていてもくるものではなく、人間が努力しているから開けていくものなんだ

 以前のエントリーにダーウさんがこんなコメントを残してくれたんだけど、これこそまさにティガのテーマだった。そして、それはある意味この曲に引っ張られた部分もあるように思う。中盤以降、主題歌と物語のシンクロぶりは増してゆき、ついには最終回近くの非常に重要な回のサブタイトルに「TAKE ME HIGER」が使われるということにもなったのだ。

作詞:鈴木 計見
作曲:PASQUNI-BATTEN-CONTINI

バビロン5/第28話「埋め込まれた頭脳」

 原題「SPIDER IN THE WEB」

バビロン5/第27話「100年前の探査船コペルニクス号」

 原題「THE LONG DARK」

ガーネット/奥華子

 昨日感想を書いた「時をかける少女」の主題歌になっている曲。何度も聴いていたら、結局感想を書きたくなってしまった。なんだか最近は音楽関係のエントリーは全部”夏の歌”になっているけれど、この曲、映画のシーンが思い出されて、どうしても夏の日のイメージが離れなくなってしまった。
 いやもう、聴いているとね、昨日見た映画の1シーン、1シーンが蘇ってくるのよ。ちょうどエンディングでかかるんだけどさ、またもう一回最初からみたくなってしまうというか。全部のシーンを反芻するみたいな感じ。
あなたと過ごした日々を この胸に焼き付けよう
思い出さなくても大丈夫なように

 昨日見た映画のシーンと、記憶の中にある夏の風景を、この曲を聴くたびに思い出してしまいそうだよ。

作詞・作曲:奥華子

バビロン5/第26話「迷宮ー亜空間の戦い」

 原題「A DISTANT STAR」

時をかける少女

 この季節に見に行っておいて良かった。今日みたいな日にはぴったりの映画。間違いなく傑作と言っていい。
 私の年代だと「時をかける少女」と言えば最初に思い浮かべるのは原田知世主演の角川映画版だと思う。あれ以降も何度かリメイクされているけれど、この時のイメージが強すぎてあんまり印象に残っていない。
 でもこの映画は確実に記憶に残るだろう。良くできたタイムトラベル物というのはただでさえ何度も見返したくなるものだけど、魅力はそれだけじゃないんだ。

 実はストーリーはオリジナルとは違っている。主人公は今どきの高校生で、タイムリープの能力を持っても悩んだりすることなく、実に屈託なく使ってしまう。それはもう、見ていて楽しくなるくらい。でもその力を、今を変えないために使ってしまうことで主人公は変わらざるを得なくなる。最後の最後で彼女が何のために力を使うか、それは物語の前半からは想像も出来ないだろう。
 タイムトラベル物なので、全く同じ場面が何度か繰り返されるんだけど、そのたびに意味が変わってくるんだ。そのときどきの夏の風景はとっても綺麗で、映画館を出た後に、今の季節を目に焼き付けておきたくなった。
 
 この映画では、かつての主人公、芳山和子は主人公の独身の叔母という設定なんだ。彼女の物語は映画の中ではっきり語られることはないんだが、映画の中ではとても特殊な位置にいることから観客には分かるようになっている。あまりにも自然になので最初は違和感が無いんだけど、良く考えるととっても不思議な会話を交わしているのだ。

 あんまり多くの劇場でやっているわけではないが、機会があったら是非見に行って欲しい。ああ、あと主題歌の「ガーネット」もいい曲だよ。帰りにCD買ってきてしまったし(笑)

通りすがる人

 先日、ついにうちのブログにも”通りすがり”を名乗る人からのコメントがついた。私はどうもこのハンドル(?)を見ると、字面通りに解釈して「ああ、もうここには来ないつもりの人なのね」と感じてしまうのだ。かと思うと、「さきほどの通りすがりです」とか言って戻ってきたりすることもあるみたいだ。通りすがりさんが増えてくると、「別の通りすがり」なんて人まで出てきたりして。

 似たようなのに”名無し”さんがいる。実はこっちの方が”通りすがり”よりも嫌いだ。謙虚そうに見せかけて傲慢だと思うよ。これが”匿名”だったら、名を隠した個人という意味で、名前は明かせないけれど発言主体としての自分はあるよ、と取れるんだけど。”名無し”だとそれすら無いように感じる。神の声でも気取っているのか、なんてね。”一国民”なんてのにも同じ嫌らしさを感じる。

 そんなわけで、こういうハンドル(?)でコメントを書かれても頭からあまり良い印象を持たないで読むことになる。また、通りすがっていってしまう人相手には返事を書く意欲があまり出ないのだ(今回は初めてだったから思わず呼びかけてしまったけれど)。

 いままでコメントに関しては特にルールを定めてなかった。その必要も感じなかったしね。でもいい機会だから、このあたりで匿名っぽいハンドルで書き込んでくるコメントに対するルールを書いておこうかと思う。

 ”匿名”さんの場合、名を隠した個人として扱います。個人が特定できるハンドルを使っている人と全く同じ、というわけにはいきませんけれど、なるべく返答するようにしましょう。
 ”通りすがり”さんの場合、もう立ち寄りそうにない人として扱います。コメントに回答はしません。が、書き込まれた内容によっては後日ありがたくネタにさせていただきます。ハンドルだけを理由に削除するようなことはしません。”通行人”とか似たたぐいのハンドルも扱いは同じです。
 ”名無し”さんの場合、人間扱いしません(笑)。ハンドルだけで削除する可能性があります。これも通りすがりと同じく、似た傾向のハンドルは同じ扱いをします。

 ということで、ひとつよろしく。まあ、いままでコメント書いてくれている人(ごく一部の上記に該当する人を除く)には関係ありませんけどね。 

バビロン5/第25話「銀河系の魔術師テクノメイジ」

原題「THE GEOMETRY OF SHADOWS」

バビロン5/第24話「謎の惑星ザ・ハ・ドゥム」

 原題「REVELATIONS」
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