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PSY・S Presents "Collection"

 私にとってPSY・Sが特別なグループである理由は、彼らの曲が非常に私好みであるというのはもちろんなのだけれど、それだけではない。PSY・Sを知ることによってそれまで全く知らなかったミュージシャン達を知ることになったのだ。自分の音楽の趣味がそれ以降変わってしまったんだ。

 このアルバムは、To-yのサウンドトラックと共に、その第一歩となったんだ。鈴木賢司、ZELDA、バービーボーイズ、GON-TITI、楠瀬誠志郎、溝口肇といった人たちによって作られた音楽は、それまで私が知っていたものとはずいぶん違って聴こえた。収録曲は松浦さんがやっていた番組「サウンドストリート」のマンスリーソングが中心。何月の歌だったのかは、歌についているイラストでわかるらしい。もうちょっと早くファンになっていれば番組聴いていたんだけどなぁ。それがかなり悔しい。

 収録曲の中ではドリーム・スープがとにかく好きでねぇ。本当にぜいたくな音楽を聴いた時に感じる幸福感がある。あと、昨日SIGNALについて書いた後に「私は流行、あなたは世間」のインストバージョンを聴くと、これが後で「風の鏡」になるんだな、と思える。
 
収録曲
Wake Up(Short Version)
ドリーム・スープ
本当の嘘
ビー玉坂
Woman・S(Bossa nova Version)
サイレント・ソング
絵に描いたよりPictureness
風の中で
私は流行、あなたは世間(Instrumental Vertion)
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SIGNAL/PSY・S

 ATLASに続く6枚目のオリジナルアルバム。このアルバムはCDなのに一旦アナログ盤にカッティングしてからデジタル化したそうだ。(実際にリリースされたのはCDのみでアナログ盤は発売されていない)初夏の青空を思わせるブルーのジャケットが印象的だ。

 曲の方はライブメンバーが加わっていることもあり、再びノリの良いアップテンポな曲が中心になっている。「KISSES」「Mighty Smile」など、ジャケットの印象通り初夏のさわやかなイメージが気持ち良い。そんなわけで、最初に聴いた時にはさわやかで明るいイメージが強いのだけど、そこに混じる寂しさや悲しさや危うさが、聴き終わった後に不思議な余韻を残す。だから好きなんだよね、ただ明るくってノリがいいだけのアルバムじゃないのだ。

 また、このアルバムではストリングスが非情に効果的に使われていていて、華やかさや寂しさを引き立てる。ストリングス・アレンジは溝口肇さんだ。

 現在、このアルバムは廃盤で中古でしか手に入らない。音楽配信では手に入るけれど、松浦さんがアナログの音にこだわって作ったこのアルバムをこのまま埋もれさせてしまうのは非情にもったいない。ぜひ復刻して欲しいものだ。
 

収録曲
Kisses
遊びに来てね
マイティ・スマイル
1/2の永遠
BRONZE
氷のヴィジョン
空の日
セパレイト・ブルー
GIMMICK
風の鏡

愛国無用

 前のエントリーでもちょっと書いたけれど、自分の生まれたところや、自分の所属している共同体に対して愛着を持つ、というのは割と自然な感情だというのは同意できる。とはいえ、そこでひどい迫害を受けていた場合なんかもあるから、そう単純にはいかないだろうけれど。

 自然な感情である以上、一方的に否定してしまうことはできない、というのはそれなりに説得力がある。だけど、自然な感情だから無条件に肯定していい、ということにもならないはずだ。愛情というのは時に理性を曇らせ、判断を誤らせる。忘れないで欲しい、アナキン・スカイウォーカーをダースベイダーに変えてしまったのは何だったかな?

 愛国心を統治機構に向けてはならないと思うのはこれが理由だ。少なくとも彼らに対するときには感情で理性を曇らせてはならない。まあ、改正基本法でも統治機構に対する愛では無い、とは言っているよね。それでもやっぱり政府の方から愛国心を持てなんて言ってきたときには気をつけた方が良いと思う。なにか理性的に見られては困ることがあるんじゃないかってね。つまりあれだ、結婚詐欺と同じってことで。

 しかし、これだけだと愛国心なんて無用の代物みたいに感じてしまうかもしれない。実はそうとも思ってなかったりもするのだけど……、それはまた別のエントリーで。 

Mint-Electric/PSY・S

 私のPSY・Sとのファースとコンタクトは、松浦雅也さんが音楽を担当したビデオアニメ「To-y」だった。その主題歌が収録されているアルバムということで、最初に買ったPSY・Sのアルバムがこれだったんだ。
 一曲目の「simulation」から、それまで自分が聴いてきた音楽とは何か違うような感じがした。いやあ、はまったねぇ。すぐに他のアルバムも買いそろえることになった。

 タイトルのミントを思わせるようなジャケットに涼しげな感じを受けるとおり
、このアルバムに収録されている曲も涼しさを感じさせてくれる。割と夏のイメージの曲が多いのだけど、”涼しい”という感覚は特に夏に感じるものだ、と確かチャカさんがどこかで書いていたような覚えがある。それは木陰だったり、水辺だったり、あるいは早朝だったり。PSY・Sの夏の曲に涼しさを感じてしまうのは元はこのアルバムにあるんだろうな。

 後に映画のイメージ曲になる「電気とミント」「青空は天気雨」To-yの主題歌/副主題歌の「Lemonの勇気」「Cubic Lovers」あたりが有名どころだけど、他にも名曲が多い。アルバム全体を通して感じる空気感みたいなものを感じられればあなたもPSY・Sファン(笑)

収録曲
Simulation
電気とミント
青空は天気雨
TOYHOLIC
Lemonの勇気
Sweet Tragedy
Long Distance
Cubic Lovers
ガラスの明日

ATLAS/PSY・S

 PSY・Sが活発に活動していた頃は、音楽雑誌を頻繁に立ち読みして新しいアルバムの情報を仕入れていたんだけど、このATLASというアルバムに関しては事前の評はあまり好意的ではなかったような覚えがある。今にして思えば、かなり好評だったNon-Fictionの次のアルバムということで、次も同じ路線を期待されていたのかもしれない。ちょうどバンドブームの頃だったしね。

 だから、手に入れてから実際にプレイヤーにかけるまでちょっとだけ不安だったのだけど、最初の”Wondering up and down”のイントロが流れてきたところでそんなものふっとんじゃったよ。このブログで最初にレビューを書いたのもこの曲だったね。
 派手なNon-Fictionに比べると地味なイメージがあるかもしれないけれど、じっくり聴けば聴くほど良さがわかる、スルメみたいなアルバムだ。前にも書いたけれど、このアルバムは買った当日に繰り返し聴いていたら、いつの間にか朝になっていたんだ。

 このアルバムの”(北緯35°の)heroism”では、作詞に森雪之丞さんが参加している。このときは一曲だけだったけれど、ストーリー性の強い彼の詞は後期PSY・Sの世界にはかかせないものになってゆく。

収録曲
Wondering up and down ー水のマージナル
WARS
ファジィな痛み
Stratosphere ~真昼の夢の成層圏
遠い空
(北緯35°の)heroism
See-SawでSEE
STAMP
引力の虹
WARS - reprize

愛は国家を救う?

 タイトルはもちろん、某チャリティー番組などで有名な「愛は地球を救う」から来ているのだけど、元ネタの方は鼻で笑ってくれちゃいそうな人たちが愛国心の大切さなんてのを主張してる気がする。「地球」は救えなくても「国家」は救えちゃったりするのかな。

 もしもそうなら日本は結構安泰かもしれない。こちらのエントリーを見ると、ほとんどの日本人は愛国心を持っているし、それを大切なものだと思っているようだ(こっちのコメント欄にある読売新聞の調査とかも参照)。もし日本が良くなっていないというなら、それは愛国心が無いからではないんじゃないかな。やっぱり愛は「国家」も救ってくれないみたいだ。

 さて、悪の組織”日教組”が反日思想で子供たちを洗脳しようと不断の努力を重ねているにもかかわらず、この結果ということは、自分の国に対して愛情を持つと言うのは、自然な感情だというのは割りとあたっているのかもしれない。だとしたらわざわざ教育で「愛国心を持ちましょう」なんて教えなくてもいいような気がする。

 それじゃ、ここでちょっと視点を変えて、もし自分が学校で”愛国心について”というテーマで教えなければいけなくなったらどんなことを言ったらいいか、考えてみたい。(これ、「愛国心教育歓迎」って人も考えてみて欲しい、なるべく具体的に)

 とはいっても、まだ自分でもそんなにまとまってない。今はキーワードだけ上げておく、
・自然な感情だからという理由だけで”良いもの”として全部肯定していいのか?
・帰属意識よりは同胞意識を
・愛される国にするにはどうしたらいいか、という考え方。

 これらはそのうち考えよう。

Non-Fiction/PSY・S

 曲のレビューもだいぶ数が増えてきたし、いままで書いたことの整理のためにもここらでアルバムのレビューをしよう。最初はこのブログのタイトルにもしている「Non-Finction」から。
 このアルバム、私が発売日を待って買った最初のPSY・Sのアルバムなんだ。ファンになった時には「Mint-Electoric」までは発売済みだったので、売っているのをそのまま手にするだけだったのだけど、このアルバムからは発売されるのを楽しみに待ち、発売日に手にするということになったわけだ。

 人を飽きさせないという意味の褒め言葉で「予想は裏切るけど期待は裏切らない」というのがあるけれど、私にとってのこのアルバムはまさにそんな感じだった。はずれの曲が一つもないという収録曲のクオリティの高さもさることながら、アルバム構成もよく練られていて最後まで飽きさせない。個々の曲はいいんだけれど、通して聴くと疲れてしまう、とかいうことがないんだ。
 また、曲間の演出も凝っている。1曲目”全力疾走”の「Parachute Limit」から2曲目「Spiral Lovers」への間のとりかたとか、5曲目「Erath」の壮大なイメージの余韻にひたるような幻想的なコーラスのなかから立ち上がってくる6曲目「Angel Night」のイントロとか、もうぞくぞくするほどしびれる。

 私は飽きっぽいのか、相当お気に入りのアルバムでも二、三ヶ月もすると聴く頻度ががた落ちするんだけど、このアルバムはほぼ二年間にわたってヘビーローテーションしてたな。あのころはほとんど毎日聴いてたような気がする。さすがに最近はそこまでしょっちゅう聴くわけではないけれど、聴き始めると通して聴かないと気が済まないアルバムである。

 そう、あとジャケットの美しさも魅力(歌詞のブックレットも良かったんだけど、現在手に入る復刻版ではそっちは手に入らないのがものすごくもったいない)。ジャケットの好みで選ぶと、これかシンプルでさわやかな「SIGNAL」のどっちかだな。

収録曲
Parachute Limit
Spiral Lovers
(Shooting down the)Fiction
Romeo
Earth~木の上の方舟
Angel Night~天使のいる場所
Silver Rain
Robot
薔薇とNon-Fiction
Hourglass~時の雫

もうやってんのかよ

 ついこのまえ、コメント欄で
 へたすると、真面目に学校で今朝の献立を報告するようになりそうで、ものすごく嫌ですよね。

こんなことを書いたのだけど、sava95さんのところで知った
朝御飯のアンケートと給食費
ここを見ると、
どういうわけか小学生の下の子が毎日「アンケート」と称して「朝御飯」とか「起床就寝時間」とかを
書かせるプリントをもって帰ってくる。昨日なんて朝ウンチをしたかどうかまで書かんといかん、
それも三日間、何なんだ、それは?よく読ませて頂くブログでもこういった動きがあるらしく、
どうも全国レベルで調べにかかってるようだが、朝御飯を和食にしろとは、どういう事やねん、

って、もうやってるのかよ。さらに弁当もdoxさんのところを読んでみると、手作り推奨どころか、手作り強制……。三度の食事のうち、二度までも口出してこようとしてますよ。
 なんだよこりゃ。頭の中が二百年くらい遡っている人たちばっかりなのか。子供を人質にとる、という発想は江戸幕府にはなかったから、もっとたちが悪いか。

『バックラッシュ!~なぜジェンダーフリーは叩かれたのか~』発売だそうです

 ジェンダーフリーとはが出来てから、デマを真に受けたり、勘違いしている人はずいぶん減ったと思うのだが。追い討ちをかけるようにこんな本が出るそうで。
私としては
瀬口典子 「科学的」保守派言説を斬る!
――生物人類学の視点から見た性差論争――

このあたりが気になる。いや、生物学まで降りていったら男に勝ち目は無いと思っているのでね。

そんなに食えないってば

 こちら経由で知った この記事、
「栄養の先生」食育授業 「子から親へ伝えて
 だからさ、
ご飯にみそ汁、焼き魚、納豆、ほうれん草のおひたし--といった定番の朝ごはんを、どのくらいの子どもが食べているのだろうか。

 朝からそんなに食えないって。みそ汁とあと一品くらいがせいぜいなんだ。これは子供のころからそう。焼き魚なんて出されたら、確実に残すぞ(^^; それに、私が朝食を和食にしてるのは、その方が楽だからというのもある。飯さえ炊けていればみそ汁は夕食の残りを温め直すだけだし、あとはノリとか漬物とか納豆とか、ほとんど冷蔵庫から出してくるだけなので。ご飯だとほら、梅干しとお茶だけでも食事になっちゃうし。
 ついでに家で食べてるのは、外食すると高くなるから。起きてすぐはあんまり食べられないから、経済的な理由がなければ途中で食事をとった方がいいんだけどね。

給食直前の4限目に入って、右腕をまくらにぐったりと机に突っ伏した男児がいた。(中略)關先生は「あの子は朝ごはんにコーンフレークしか食べてこなかったそうですよ」と教えてくれた。育ち盛りの6年生。コーンフレークだけでは、体力は続かないだろう。

 給食前に空腹で耐えられないのが問題だと言うなら、早弁を許してやればいいのに。別に食べながら授業を受けろってことではなくて。

 こういう話を読むと思ってしまうんだけど、母親が低血圧気味で朝が弱いって場合でも、朝食にご飯を食べないと母親が責められるんだろうか? 栄養のバランスが……というならカロリーメイトみたいなので朝食取っちゃだめなの? 個人の事情なんて人それぞれなんだから、そこまで上から規定することはない、と思うんだけど。

買いました


 教本片手に練習中。そういえばギターはあっとゆうまに挫折したのであった。
一抹の不安が(笑)

私は宇宙に恋してる(たぶん)

 なんでこんなこと思ったかというと、こちらのエントリーを読んだから。
 生命の歴史や生物現象の解説なんかは、知れば知るほど不思議がつのるし、自分もまた一つの生物だということは、「すごいんだな」と思う。一方で、天体写真とかを見たり、宇宙の構造の話を聞いたりすると、そのスケールのでかさと自分のお大きさのギャップに驚いたり。
これを見ると、自分が生まれて生きていることが、どれだけ奇跡的なことなのか、いつも思い知らされます。
自分がどれだけ宇宙から祝福され、愛されているか??なぜなら、自分の生のために、途方もない数の生命が犠牲になってきたからです。

 だからこの感覚にほとんど同意しながらも、最後の「宇宙から祝福され、愛されている」というところだけはどうしても自分の実感とは異なっている。それで、宇宙を擬人化して自分の感情を表現するとタイトルのようになるのかな、と考えた。恋しているのはこちらの方だ、しかも片思い。だからたまに微笑みかけてくれたりするとやたらと嬉しかったりするんだ。私の倫理観とか、信仰心とかはこれがベースになっているんだろうな。

給食と弁当

弁当か給食か
 私は中学校まで給食だったのだけど、実はあんまり給食にいい思い出はないんだよね。子供のころは偏食がひどかったせいもあるんだ。食べられないおかずが出るとつらくてねぇ。
 あと中学の時、同級生の男の子が、やっぱり給食じゃ物足りなかったのか自分でおかずを持ってきたんだ。そしたら担任の教師がいきなり怒りだしたんだよね。「みんなで一緒のものを食べなきゃ駄目だ」って言って。クラス中しらけてたような記憶がある。弁当を作ってもらえる遠足の時なんかは素直に嬉しかったよ。

 しかし、だからと言って、
「お母さん! 給食に逃げないで、心をこめてつくりましょう。時間と手間をかけてくれることに子どもは喜びを感じる」「家庭で収入に違いがあるのは、本当の姿。画一的な給食ではそれが見えない。弁当なら、世の中には色々な違いがあることを知るチャンスになる」

 こんなふうに思い入れたっぷりに弁当を勧められてもね。弁当を作ってあげることで愛情を示す、というのはありかもしれない。しかし、作ってあげないからといって愛情を示せていないということにもならない。作れない/作らないというのは経済的な事情だけからじゃないだろうしね。なんだろう、そこまで精神的な付加価値を求めなきゃいけないものなんだろうか。

 手間をかけるのが偉い、ってのは時間がある人が言えることだというのは、しばらく弁当を作って会社に行っていたことがあるので良くわかるのだ。

黒い奴

 もうそろそろ出る、と噂になっていた新しいMacBookが昨夜発表になった。やっぱり最初に目を引いたのは本体のカラーに黒が加わったこと。しかし、黒は白い奴よりちょっと値段が高い。BTOを使って13インチ:ホワイトを13インチブラックと同じ構成にしても、黒の方が一万円以上高いのだ。だったら白で良いよなぁ。なんて思っていた。

 で、今日からアップルストアに並ぶ、ということで、実物を見ようと早速行ってきた。いや、黒いのカッコいいよ。今まで長いこと白いiBookに慣れていたから余計に新鮮に感じるのかもしれないが。いやぁ、危ないところだった。まだ買い替えるつもりはないんだけど、ついクラッときてしまったよ。

 今使っている奴の先代はもう思いっきり使い倒して、”ごくろうさま”って感じでバトンタッチしたが、今のはまだそこまで使ってないような感じなんだ。

ちょっと欲しくなった

 XBox信者のdoxさんには悪いんだけど、

岩田聡社長インタビュー/Seattle Times
これを読んで、ちょっとWiiが欲しくなった。いや、なんつってもこれ、
私達は本当にジョージ・ルーカスがこれをライトセーバーとして利用することを考えてくれないかと願っています。絶対楽しいものになります。

 あのコントローラーだったらかなりいけるんじゃないか、もし、本当に実現したら即買いになりそう。他にもチャンバラ系のゲームとか出来そうだし。

 PS3はあんまり欲しいとは思わないんだが(笑)

最近の若いものは、なんて言い出したらおっさんだぞ

 私が嫌いな言葉に「最近の若いものは」というのがある。良く知られているように、この言葉、紀元前からある由緒正しいおっさんの愚痴なんだが(知ってるよね?)、使いたくなった時には心の中で「じゃあ、お前の若い時はどうだったんだよ」と自分に突っ込みを入れてやることにしている。いや、やっぱり言いたくなる時はあるのよ(笑)。

 とはいえ、これが飲み屋でのおっさんの愚痴であるうちはまあいいんが、最近しゃれにならないくらい、真面目な文脈で言われる。昨今は昔じゃ考えられないくらいに凶悪な少年犯罪が増えた、とかいう文章で始まって、その後に適当に思いついたものを原因として続けるのだ。ゲームだったり、インターネットだったり、萌えアニメだったり、戦後教育だったり、地域共同体の崩壊だったり。

 あのー、こんなこと言われて真面目に心配しているみなさん、まずは現実を見ましょう。少年犯罪も、凶悪犯罪も増えてない。むしろ減っている。減っているのに少年犯罪には厳罰で対処しようとか、地域パトロールで若者の不良化を防ごうとか、紹介したエントリーにも書かれてるが、
「警察と住民が意味なく、がんばりすぎ(ようするに、うざい人たちが増えている)」

と、社会全体が若者に対して不寛容に、かつおせっかいになりつつある、ということだ。このあたりは、マスコミの少年犯罪の取り上げ方にも問題があるのだが。

私は自分で突っ込みをいれる、と書いたけれど、「最近の若いものは」って言う人たちも、自分の若い頃を思い出しているはず。でも「思い出美化フィルター」がかかっちゃうんだよね、きっと。昔はよかった、本当にそうか? なんか最近、その手のおやじの愚痴本とかがやたら目につくのだ。
 

新兵器投入

 前に「反日認定キャンペーン(笑)」なんてやっていたが、実は私は米の飯が大好きである。朝食にパンなどとんでもない、ご飯にみそ汁でないと食べた気がしない、などと思っている。(しかし、そのわりに出張でホテルに泊まった時なんかは朝食は洋食にしてしまう。いや、だってホテルの和食の朝ご飯って量が多すぎないか? あんなにあったら食べ切れないではないか)

 そんなわけで、前から気になっていたアイテム「炊飯土鍋」というのをようやく買ってみたのである。早速今日から使ってみようということで、説明書に従って炊いてみる。10分強火で10分とろ火という結構適当な火加減でいいのが手軽で良い。

 さて、最後の蒸らしも終わって、ちょっとどきどきしながら蓋を開けると、香ばしい香りと共に綺麗に炊き上がったご飯が(^^) ううっ、なんか嬉しいぞ。

クロ/遊佐未森

 しろにゃさんのこちらのエントリーで、遊佐未森さんの新しいアルバム「休暇小屋」が発売になっていることを知って、本日購入。
 初回特典のDVDに、このアルバムの中の「クロ」という曲が「NHKみんなの歌」で放映された時のアニメーションが収録されているんだけど、これは!
 この曲(というかアニメーションも含めて)、猫好きな人ならもちろんなんだけど、生き物と同居したことがあるとかなりくるんじゃないだろうか。私はどっちかというと犬派なんだけど、クロには心をわしづかみされたって感じだよ。

 言葉を話さない、小さな友人と暮らした日々って、忘れられない。
歌を作ってると 遠い目できいた

 ああ、こういうのわかるなぁ。不思議だよね、生物としての種が違うのに、確かに友情が成立してるって感じられるというのは。

作詞・作曲:遊佐未森

馬鹿にされてるんだが、気がつかないのか?

非国民さんからのトラックバックで知った産経新聞の記事
【主張】同友会提言 中国干渉に手を貸す恐れ
そういう近隣諸国への過度の配慮が戦後日本の外交を誤らせてきたのではないか。これからは、中国などに疑義を持たれても、言うべきことをはっきり主張する外交が必要だ。

 言うべきことってこれですか?
靖国神社に詣でることは日本の文化であり、日本人の心の問題でもある。誰がいつ、いかなる気持ちで参拝しても、それが妨げられないような静かな環境を保ちたい。

 非国民さんの言うように、”靖国神社に詣でることが日本の文化”もすごいが、小泉総理の話なのにいきなり”日本人の心の問題”にしてしまっているのもすごい。”われわれ愛国日本人の偉大な指導者様”ですもの、彼の”心の問題”は全国民の”心の問題”なわけですよ、産経新聞的には。
 別に、国民が参拝することについては誰も反対してないよね。

提言は「中国などアジア諸国に少しでも疑義を抱かせる言動は、戦後の日本の否定につながりかねず、日本の国益にとってもプラスにならない」としている。

 実に的確な提言だと思うけどね。理由はこっちのエントリーのコメントで書いた通りだけど、一部修正の上、再掲しておこう。
 外交的には政教分離がどうこうはどうでもいい話だと思うんですよ。問題にされているのは、あれだけ政府の公式見解に真っ向から逆らうような政治主張をしている宗教施設に、総理大臣という政府を代表する立場にある人間が参拝してしまう、というところのはずです。A級戦犯というのはその象徴であって、たとえ合祀を外したからといって靖国が変わらなければ問題はあまり解決されないような気がします。

 わかりにくいかな。簡単な理屈だと思うけどね。小泉総理は対外的には政府の公式見解を支持している。それだけではなく、公式見解にそった形で、何度も自らの口から先の戦争について語っている。靖国参拝について報道されるときには、なぜかそのことには触れられない。触れてしまえば、小泉総理が”近隣諸国に過度の配慮”をしていることがわかってしまうからだ。靖国参拝は国内の小泉支持者へのパフォーマンスだよ。これ見て喜んでる人たちは馬鹿にされてるんだ、小泉総理に。
 

保坂展人議員がネット提言を募集

 次はこちら、社民党の保坂展人議員のブログ「保坂展人のどこどこ日記」で「教育基本法特別委員会でネット提言を大募集」
 保坂議員はこの委員会の社民党代表ということ。共謀罪の方も大変だと思うが、がんばってもらいたいところだ。
 民主党がどうも言葉の細かいところにとらわれているような感じがして、かなり危ない感じがする。前にも書いたけれど、「愛国心」とか「国と郷土を愛する態度」というのは、そこに話を誘導するための餌ではないかと考えている。ここにばかり批判を集中させない方がいいと考える。
 本来の狙いは教育行政の中央集権化だと踏んでいる。十七条が曲者なのではないか。ここでは教育の振興計画については政府は国会に対する報告と、公表の義務しか負っていない。最低限、国会による承認を得る義務を負わせるべき。
 でないと、このかなり荒い基本法の範囲で、勝手に計画されてしまう危険がある。それも学校教育だけでなく、生涯教育だとか家庭教育だとか、およそ教育と名のつくものすべてについて。

教育基本法公開シンポ

 今日は教育基本法関係で、いくつかエントリーを上げておきたい。まずは、annntonioさんからトラックバックいただいた公開シンポジウムのお知らせ。私は当日は用事が入っているので参加できないのだけど、ここにコピーしてあげておく。

ー告知ここからー
公開シンポジウム
       教育基本法改正案を検討する
         -教育の自主性を保障する教育基本法はどこへ行くのか?-
                    主催 日本教育法学会教育基本研究特別委員会
 去る4月28日に教基法改正案が閣議決定され、国会に提出されました。本特別委員会でも緊急に法案の検討を行い、そこに多くの問題点を見出してきました。法案の最も根底的な問題は、それが教育基本法を、教育の自主性保障法から教育の権力統制正当化法へと基本精神を180度転換させていることです。
 特別委員会における検討の成果を広く市民・NGOの方々に広めるとともに、市民・NGOの方々と法案の文言をきちんと検討して、議論をしたいと考え、この公開シンポを企画しました。多くの方々の参加を心から期待します。
日時 2006年5月21日(日)午後1時半開場 午後2時から5時まで
場所 法政大学市ヶ谷キャンパス58年館3階、835教室(JR市ヶ谷または飯田橋駅下車、徒歩7分)
 〔会場はhttp://www.hosei.ac.jp/gaiyo/campusmap/ichigaya2.html参照〕
資料代 1,000円(母と子社刊『教育基本法改正案に対するコメント』(仮題)1冊を含む。)
第1部 法案を分析する (2時~3時30分)
  1 西原博史(早稲田大学教授) 教育基本法改正案と内心の自由
  2 世取山洋介(新潟大学助教授) 教育基本法改正案と教育の自由
  3 市川須美子(独協大学教授) 教育基本法改正案の逐条的検討

第2部 法案で何が起こるのか-東京都における先行例の実態 (3時40分~4時20分)
 予防訴訟原告団(予定)ほか

第3部 参加者を含めた大ディスカッション (4時20分から5時)
ー告知ここまでーー

ウクレレ・ウルトラマン

 ここのところ硬いエントリーが続いたので、ひさびさにちょっと肩の力を脱きたくなっていたところに、iTMSにこのアルバムがリリースされていたので思わずアルバム買いしてしまった。いやいや、ちょっとどころじゃなく力が脱けました(笑)

 このアルバム、ウルトラQからウルトラマンタロウまでのウルトラシリーズと、怪奇大作戦、快獣ブースカの主題歌と劇中の挿入歌をウクレレでアレンジして演奏している。これがい~い感じで力の脱けた演奏に、ビーチでアロハ着てウクレレ弾いているウルトラマンたちの姿が浮かんで、なんだかわけもなくおかしい。
 特に気に入ったのは「帰ってきたウルトラマン」あまりにものほほんとした曲調に、「君、怪獣退治じゃなくて、地球にバカンスに来たんだろう」とつっこみたくなってしまう(笑)
 他にも、もともと軍歌調の曲をやたらおしゃれなジャズ風にアレンジしてある「ウルトラマンエース」とか、なんでそんなに哀愁がただよっているだ、ホームシックか(笑)という「ウルトラマンタロウ」とか、どれも素晴らしい出来なのだ。

 なんだか最近は頭の痛くなるような話が多いが、これを聴いて少し元気が出たよ。

心の問題じゃなかったんですか?

 経済同友会が小泉首相に対して、靖国参拝を自粛するよう提言したそうだが、それに対して小泉首相は、こう答えたそうだ。
<小泉首相>経済同友会の提言に「商売と政治は別だ」 (毎日新聞)
 え~、靖国参拝って政治活動だったんですか? それって憲法違反なんじゃ……。確か、あなた個人の心の問題とか言ってませんでしたかね。

 あと、「商売と政治は別」って理由になってませんよ。商売を犠牲にしてでも参拝するのはいかなる政治的判断からなんですかね。それを言わなければ説明にならないと思うのですが。

 首相個人の思想信条の自由はなんとしても守る、ってことですか? えーっと、教育基本法の改正理由に”行きすぎた個人主義”がどうした、とか言ってませんでしたか? 

富士山は私のものだ

 私の出勤ルート中、最初に乗る電車の窓から富士山が見えるポイントがある。晴れている時にしか見えないし、時間にして一分そこそこ程度なんだけど、綺麗に見えた時には、なぜか非常に嬉しい気持ちになる。通勤途中にはずっと見えている経路もあるのだけど、どういうわけだかそこでは見えたとしてもそれほど嬉しくないのが不思議だ。どうやら、「ちょっとの時間」と「綺麗に見えるのは良く晴れている時だけ」というのポイントみたいだ。
 何年か前のある日、やっぱり綺麗な富士山を見てちょっとした倖せを味わっていた時に、近くに乗り合わせていた女子高生達がこんな会話をしていた。
「ここから富士山が見えるときって、なんか嬉しいんだよね」
「あたしも」
 君たちもか!

 実は、東京が江戸と呼ばれていた時にも、そんなふうに富士山を見ていた人たちは少なくなかったそうだ。富士山信仰というのはかなり江戸ではポピュラーなものだったし、富士塚と言って、ミニチュアの富士山を作ったりもしていたそうだ。

 そういう感覚が今の東京にも残っているのはなにか嬉しいし、伝統っていうのはそういうもんだよな~。なんていい気分にひたったものだった。

 さて、それをふまえて、こちらのエントリーを読んで見て欲しい。
教育基本法と「富士山敬愛法」の近未来?
 富士山敬愛法!
私は冒頭に書いたように富士山は好きだけど、仮にこんな法律が出来そうになったら絶対に反対する。もし成立してしまったら、自分たちのもののはずだった富士山を国に取り上げられるように感じるだろうね。バッチイ手で触るなよ、というのが一番近い感情だと思う。

 国歌や国旗にには大した思い入れも無いし、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」という文章では抽象的すぎていまいちピンと来なかったのだけど、文化や伝統を尊重することを法に定める、というのは具体的にはそういうことなんだ。

 冗談じゃない。これはお前らのものじゃないぞ、勝手なことするな。

「反日」認定されてみよう

 この話題に触れると「反日」扱いされるというトピックはいくつかあるのだけど、歴史認識関係では南京大虐殺と従軍慰安婦が双璧だろう。どちらの話題も「あった」という認識でいるとかなり高い確率で「反日」扱いされる。とっても親切な人がコメント欄で「間違い」を指摘してくれたりとかね(^^;

 南京大虐殺について、私がどういう認識でいるかと言えば、被害者の範囲や数については諸説あるにしても、当時の南京で日本軍による捕虜ないしは市民に対する殺害行為があったことは否定できない事実。その規模についても「大虐殺」と称するだけのものであった、ということはまず動かせないだろう、というところ。

 一応断っておくが、一度に数百人という数でも十分”大虐殺”だと思うよ。あまりにも言われている数が多いからかえってマヒしているのかもしれないが、無抵抗または非武装の人間が数百人殺されていく様をリアルに想像すれば、それがどんな光景かわかるだろう。(被害者の数が実際に数百人であったと言うつもりでもない。念のため)

 ここまではほぼ確定していて、いまさら一つや二つの”新事実”程度ではひっくり返せないと思う。がんばっている人たちもいるようだけどね。(産経新聞とか)

 一方で、中国政府が南京大虐殺をプロパガンダとして使っている、というのも事実だと思う。ただ、これに対抗するために”南京大虐殺はなかった”なんて主張を行うのはやめた方がいい。上で書いたように、そりゃ無理だから。その主張を続ければ「相対性理論は間違っている」とか主張している人たちと同類と思われるだろう。やるなら”ひっくり返すのは無理”という前提に立たないとね。無茶な反論はかえって相手の主張の正当性を高めてしまう。

 しかし、無かったと信じている人にとっては無茶な主張には見えないんだろう。信仰の問題は無理やり変えるわけにもいかないし。きっとあっちがわの人たちも同じようなこと思っているんだろうけど。

反「反日」というスタンス

 以前に伊勢崎のジャンヌダルクについてエントリーを書いたことがあったのだけど、そこのコメント欄でjabberwockさんが少しだけ中国について触れたところ、こんな反応があった。


>厨国愛国者ですねぇ
>そりゃ壊滅したシナスクールと社会党の役目ですよぉ

 面白いもので、”日本の伝統的な価値観”を批判したり、日本政府の政策を批判したりすると、どういうわけだか中国共産党を支持していると考える人がけっこういるらしい。最近話題の反日ブログ監視アンテナとかも、
日本が悪い時は?「日本が悪い!」 特亜が悪い時は?「もとはと言えば日本が悪い!」  特亜も日本も悪い時は?「ともかく日本が先に譲歩しろ!」  はい、よくできました。馬鹿のひとつ覚えですから簡単でしょ。

 頭にこんなキャプション付けてるね。そういえば、現政権批判でも、中国や韓国が利益を得るような政策を批判するような場合には反日認定はしないようだ。どうもこうやって見ると”日本が好き”なんじゃなくて、中国や韓国・北朝鮮が嫌いなだけなんじゃないかと思える。靖国問題なんかは、もはや中国や韓国が不満を表明しているから参拝を支持しているようにしか見えない。
 このあたり、なんだか歪んだ愛情を感じてしまうのだけど、意識せざるを得ない何かを感じているのだろう。近親憎悪なのかね、彼らが嫌う中国にも韓国にも北朝鮮にも日本に似た部分があるし。 

 一昔前なら、この手の悪役はソ連だったんだよね。領空侵犯なんて、偵察機どころが戦略爆撃機がやってたりして、驚異という意味では今の中国・北朝鮮の比ではなかったのだが。最近は嫌ロシアとか反ロシアとかは流行らないのか。

May Song/PSY・S

 今日も東京は初夏らしい一日だったね。で、タイトルそのまんまのMay Song。やっぱりここは季節に合わせたエントリーにしておこう。
 PSY・Sの歌には「お互い想いあっているはずなのに、なぜか気持ちが通じない」というシチュエーションが多いよう思う。この曲もそんな二人の歌なんだ。
いたずらを見つかった まるで子供の様に
この胸につかえてる 言葉口に出せない

 言葉で伝えられなかったり、笑われたくなくてカッコつけてみたりして、お互いどこかすれ違ってしまう。そんなときには、初夏の空の青さが少しうらめしかったりするんだろう。
 
 「空の日」同様、さわやかだけどちょっと寂しい、そんな歌。

作詩:安則まみ
作・編曲:松浦雅也

二隻目と三隻目

 立て続けにもう二隻。

出来心

 ついふらふらと玩具屋でこんなものを買ってしまった。とりあえずこんなものを作ってみたり。

 なんか今年の夏に出には、Macからもコントロールできるようになるとか。
 いかん、しばらくはまってしまいそう。

科学は宗教の代用品にはなれない

 このエントリーの非国民さんのコメントに対して、「科学”だけ”ではカルトに対する耐性としては弱い」と書いた。そのとき頭にあったのは一月くらい前のこのエントリーのことだった。
 科学を「正義の味方」と勘違いしない
 ここに書かれているのように、科学の方法論が信頼できるというだけで、科学自体は正義でも悪でもない。もうちょっと言うと科学は正義の味方にはなってくれないんだ。こういった科学の方法論というのは、確かに似非科学やカルトへの耐性になる、が「正義の味方にはなってくれない」という性格は科学の限界でもあるんだ。
 一方で宗教というのはそうではない。少なくともその出発点は「人を救う」というところにある。それも民衆とか人類とかいう抽象的なものではなく、今目の前で苦しんだり悩んだりしているその人を救おうとする、という性格を持つ(その救いがこの世で行われるとは限らない)。これは教典宗教だけでなく、自然崇拝みたいなものでも同じだ。
 自然というのは本当は非情なものだ。これは人に優しくないとか、厳しいとかいうことではない。擬人的な言い方をすれば「人間のことなんか知ったこっちゃない」ということだ。無関心というのは一番応えるから、大きな災害で人がたくさん死んだりした場合なんか、たとえタタリのようなものでも、そういう理由がついたほうが救いになる。無意味に死んでしまったということにはならないから。
 これは多くの似非科学で実際以上に人間の存在が重要視されていることの説明にもなる。「水からの伝言」なんてのが好例だよね。

 このように、科学と宗教とで性格が異なるから、科学的な教育を受けた人間が宗教的な救いを求めることは不思議ではない。特に、苦しいときや悩んでいるとき、救いの手というのはやはりありがたいものだ。問題はそれが本当に救いなのか、それともそうではないのか、ということを見極めるのが結構厄介なことなんだ。単純にね、相手を食い物にしようとしている連中であればまだ簡単なのだけど。ことはそれで終わらないからねぇ。それについては、もう少し考えてみたい。
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