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和火と洋火

 実は江戸時代の花火は、今の鮮やかな色のものとは違い、炭火の色のような、かなり地味なものでした。原料である黒色火薬の燃える色そのものだったわけです。今ではこの時代の花火を和火と呼びます。
 花火に鮮やかな色をつける技術はヨーロッパで生まれました。1786年に塩素酸カリウムが発見され、これを火薬に混ぜることで強い光を発する花火を作ることが可能になりました。このほかにも、ストロンチュウム、バリウムなどが花火に色をつける彩色光剤として使われるようになって行きました。
 これらの化学物質は明治維新後に日本に入ってきました。どうやら、その鮮やかな色彩は日本の花火師の心に火をつけてしまったようです。すぐに西洋の技術を使った新しい花火が作られ始め、外国に輸出される様にまでなりました。明治以降に生まれたこのような花火のことを洋火と呼びます。
 彩色光剤が日本に入ってきたのは明治十二年ごろからなのですが、わずかその二年後にアメリカで宣伝の為の興業に行って、当地の人たちに喝采を浴びたそうですから凄いですよね。
 しかし、言葉にすると簡単ですが、新しい花火を作るのは命がけの仕事でした。これは、比喩などではありません。もともと大量の火薬を扱うわけですから爆発の危険は常にありました。現に江戸時代の名門花火問屋だった玉屋は爆発事故を起こして一代限りで廃業させられています。さらに塩素酸カリウムを使用した火薬はそれまでのものに比べて爆発しやすく危険なものでした。当時の花火師たちの苦労はこのページでも見ることが出来ます。
 明治維新以降も花火は進歩を続け、現在ポピュラーな二重、三重に花開くタイプの花火は大正時代に生まれたそうです。このころにはもう、日本の花火は世界一のものになっていました。
 花火師さんたちは今でも新しい花火に挑戦しています。夜空にほんのつかの間、美しい花を咲かせることに命がけで挑んできた彼ら、彼女らは、最高にかっこいいです。
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川開きと花火大会

 花火大会というと、日本の夏の風物詩になってますね。私なんかは、夏も始めのころ、というか夏の始まりを告げるイベントに感じます。おそらく、これは今の隅田川花火大会の原形である両国川開きの花火大会の影響だと思われます。
 その両国川開きですが、始まったのは享保18年(1733年)、前年に流行った疫病の死者の慰霊と、悪霊退散を祈ってのことでした。開催を命じたのは(しょっちゅう名前を出しているような気がしますが)八代将軍吉宗公でした。花見に花火大会ですから歴代将軍の中でも人気が高いのもうなずける気がしますね(笑)。川開きは旧暦5月28日ですから、まさに夏の始まりを告げるイベントでした。
 このときまでは、川で船遊びをしている人たちから注文を受けて演じていたのですが、川開きに集まってくる客に対する宣伝広告として、両岸の小料理屋などが資金を出しあって開催するようになりました。実際には、この日だけではなく、7月28日までの間、スポンサーがつけば毎夜でも上がっていたそうです。
 この両国の花火大会は途中何度か中断する時期があったものの、戦後の1961年まで続けられました。そして、交通事情の悪化、河川の汚染などを理由に廃止となるのですが、住民たちの強い要望を受けて1978年、隅田川花火大会として復活し、今に至ります。
 今は毎日どこかで必ず上がっているんじゃないかと思うくらい多くの花火大会がありますが、江戸時代や明治時代くらいまでルーツをさかのぼれる大会は神への奉納という形をとることが多かったようです。

 やがて明治維新を迎えたあと、日本の花火に大きな進歩が訪れます。それについては次のエントリーで。 

 つづく。
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