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Anemometer -真夏日の風速計/PSY・S

 この曲、心の中にというか、身体の中に直接入って触れられているような気がする。痛いような、くすぐったいような。
 風が止み、風景も人も動きを止める、まるで時間が止まったかのように。大事なことを伝える時にはそうなるのかもしれない。それが悲しい結果になると分かっているときはなおさら。
風の時計が語るよ
おしまいははじまりだね
行かなきゃ

 そして再び歩き始める。時が動き出し、風が吹く。何かが終わることで、始まるものもある。悲しい曲だけど最後は光が見える。
 
作詞:森本抄夜子
作・編曲:松浦雅也
アルバム
「Window」
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インデックス作成ツール/どんなツールにするか

 作り方としては二通りあると思っている。
 その一、記事が書いてあるブログのURLを指定してやると、そこから記事の中身をロードして、その中身からインデックスページを作成する。
 その二、ひとつひとつの曲のレビューを作成するツールを作って、そのツールからインデックスページの作成や、エントリーの投稿が行えるようにする。

 既に、記事が出来ている状態から作るならその一のツールの方が便利だ。でもこれからも結構な量のレビュー記事を書こうと思ったら、その二のツールも欲しい。でもどっちもちょっと調べないと難しいところがある。その一の場合は、記事のデータを取ってくるところだし、その二では記事の投稿のところだ。どっちも今使っているExciteのブログのことを知っておかないとならない。ただ、どちらかというと記事を取ってくる方が簡単だろう。記事の投稿にはユーザー認証が必要なのだが、その部分をどうにかするにはハードルが高い。

 とりあえず、その一のパターンで作ってみることにしよう。

宝石の島/PSY・S

 決して派手じゃないけれど、お気に入りのアクセサリーのような曲。もしかしたら、ホリディというアルバムの中で一番気に入っている曲かもしれない。
夢見たことを 今あなたと見てる
涙があふれるこんなときも

 そうそう、あんまり嬉しいと涙ぐんじゃうんだよね。しばらく前からやたらと涙もろくなったのは歳を取ったせいかもしれないけど、この部分はとてもよくわかる。この曲、全編通してなんだかとってもハッピーな雰囲気があるんだ。
 間奏のところ、途中で止まってしまったオルゴールのネジを巻き直すところなんかは、ちょっとしゅんとなったあと、あっという間に元気一杯になるところが目に見えるようだし、歌詞の中で二回出てくる英語の部分は、魔法の呪文みたいだ。

作詞:松尾由紀夫
作・編曲:松浦雅也
アルバム
「ホリディ」

インデックスページ作成ツールの構想

 そろそろ作ろうと思ってる曲レビューのインデックスページなんだけど、こんなのにしたいな、という構想だけは既にある。まだ手を付けていないんだけど。

・アルバム別のインデックスは当然。インデックスだけじゃなくて、いずれはアルバムごとのレビューも書きたいので、そのスペースも取っておきたいな。
・作詞者別インデックス。これも作詞者ごとにレビューを付け……られるのか? でも、傾向はあると思うんだよね。それが見えればいいんだけど。
・作曲者はほぼ松浦さん一人なんで、インデックスは無し。
・ブログとは別スペースに置く予定。

 こんな感じ。それで、それぞれのエントリーにリンクを張るんだけど、記事を書くのとインデックスページを更新するのを別々に手動でやるのは面倒なので、一緒に出来るツールが欲しいわけだ。記事を書くときにアルバムとか作詞者は一緒に書いているから、そこから引っ張ってきてインデックスを作るようにしたい。幸い、もうしばらくしたらGWだし、新しいOSも手に入るし、ちょっとやってみよう。
 せっかくプログラミングというカテゴリがあるので、作っていく過程は、適当にエントリーあげて行こうと思う。

和火と洋火

 実は江戸時代の花火は、今の鮮やかな色のものとは違い、炭火の色のような、かなり地味なものでした。原料である黒色火薬の燃える色そのものだったわけです。今ではこの時代の花火を和火と呼びます。
 花火に鮮やかな色をつける技術はヨーロッパで生まれました。1786年に塩素酸カリウムが発見され、これを火薬に混ぜることで強い光を発する花火を作ることが可能になりました。このほかにも、ストロンチュウム、バリウムなどが花火に色をつける彩色光剤として使われるようになって行きました。
 これらの化学物質は明治維新後に日本に入ってきました。どうやら、その鮮やかな色彩は日本の花火師の心に火をつけてしまったようです。すぐに西洋の技術を使った新しい花火が作られ始め、外国に輸出される様にまでなりました。明治以降に生まれたこのような花火のことを洋火と呼びます。
 彩色光剤が日本に入ってきたのは明治十二年ごろからなのですが、わずかその二年後にアメリカで宣伝の為の興業に行って、当地の人たちに喝采を浴びたそうですから凄いですよね。
 しかし、言葉にすると簡単ですが、新しい花火を作るのは命がけの仕事でした。これは、比喩などではありません。もともと大量の火薬を扱うわけですから爆発の危険は常にありました。現に江戸時代の名門花火問屋だった玉屋は爆発事故を起こして一代限りで廃業させられています。さらに塩素酸カリウムを使用した火薬はそれまでのものに比べて爆発しやすく危険なものでした。当時の花火師たちの苦労はこのページでも見ることが出来ます。
 明治維新以降も花火は進歩を続け、現在ポピュラーな二重、三重に花開くタイプの花火は大正時代に生まれたそうです。このころにはもう、日本の花火は世界一のものになっていました。
 花火師さんたちは今でも新しい花火に挑戦しています。夜空にほんのつかの間、美しい花を咲かせることに命がけで挑んできた彼ら、彼女らは、最高にかっこいいです。

川開きと花火大会

 花火大会というと、日本の夏の風物詩になってますね。私なんかは、夏も始めのころ、というか夏の始まりを告げるイベントに感じます。おそらく、これは今の隅田川花火大会の原形である両国川開きの花火大会の影響だと思われます。
 その両国川開きですが、始まったのは享保18年(1733年)、前年に流行った疫病の死者の慰霊と、悪霊退散を祈ってのことでした。開催を命じたのは(しょっちゅう名前を出しているような気がしますが)八代将軍吉宗公でした。花見に花火大会ですから歴代将軍の中でも人気が高いのもうなずける気がしますね(笑)。川開きは旧暦5月28日ですから、まさに夏の始まりを告げるイベントでした。
 このときまでは、川で船遊びをしている人たちから注文を受けて演じていたのですが、川開きに集まってくる客に対する宣伝広告として、両岸の小料理屋などが資金を出しあって開催するようになりました。実際には、この日だけではなく、7月28日までの間、スポンサーがつけば毎夜でも上がっていたそうです。
 この両国の花火大会は途中何度か中断する時期があったものの、戦後の1961年まで続けられました。そして、交通事情の悪化、河川の汚染などを理由に廃止となるのですが、住民たちの強い要望を受けて1978年、隅田川花火大会として復活し、今に至ります。
 今は毎日どこかで必ず上がっているんじゃないかと思うくらい多くの花火大会がありますが、江戸時代や明治時代くらいまでルーツをさかのぼれる大会は神への奉納という形をとることが多かったようです。

 やがて明治維新を迎えたあと、日本の花火に大きな進歩が訪れます。それについては次のエントリーで。 

 つづく。

花火の出現と日本伝来

 まきこさんのこの記事のコメントで花火の話になったので、ちょっと花火の歴史を調べてみました。
 花火の元となる火薬は200年ごろ中国で発明されました。宋代には爆竹やネズミ花火のような形で遊ばれるようになっていたようです。観賞用の花火の原形は火薬がヨーロッパに渡った後、14世紀のイタリアで始まったと言われています。この後、花火はヨーロッパ中に広まり、17世紀には花火の学校も作られました。ヨーロッパでは花火は王侯貴族の遊びとして広まっていきました。
 火薬が日本に入ってきたのは意外と遅く、ポルトガルから鉄砲と一緒に入ってきたそうです。時は戦国、火薬を扱う技術は日本中に広まっていきました。しかし、戦国時代の間は花火なんて悠長な遊びはしていられなかったらしく、花火が姿を現すのは戦国時代も終わりになってからでした。これは、火薬の原料の一つである硝石が最初は日本では産出できず、輸入品だったことも影響しているのではないかと思います。日本で初めて花火を見たのは徳川家康と言われていましたが、最近、それより早く伊達政宗が見たと言う記録も見つかったそうです。このころの花火は今のような打ち上げ式ではなく手で持ってやるものでした。今でも手筒花火というのが残っています
 江戸時代に入り、世の中が平和になると、戦国時代に沢山いた火薬の専門家たちの技術は戦争の為ではなく、花火という遊びに使われるようになりました。もともとは、狼煙や火矢の技術を転用したものだったといいます。また、現在のおもちゃ花火の原形も作られ、庶民の間で人気を得ました。あまりにも流行ったので、火事の多かった江戸では何度か禁止令が出ています。
 今では世界一となった日本の花火の歴史はこうして始まったのでした。

つづく

Simulation/PSY・S

 私が始めて買ったPSY・Sのアルバムは「Mint-Electric」なんだけど、その一曲目がこの曲だった。それまで好んで聴いていた音楽とはずいぶん違って聴こえ、最初は戸惑ったことを覚えている。
 歌詞のカタカナで書かれた部分が少し心に引っかかる、何かトゲでも刺さってるみたいに。
そうでも 時々 気になることがあるの
なぜ私達は ケンカをしないんだろう
なぜ別れ際が そっけないんだろう

 何か身に覚えがあるような気がするのはなぜだろう、もしかしたら、あの時していたのは恋ではなかったのかもしれない。

作詞:サエキけんぞう
作・編曲:松浦雅也
アルバム
「Mint-Electric」
 

(北緯35°の)heroism/PSY・S

 この曲から、作詞家として森雪之丞さんが参加している、という意味で私にとっては印象に残っている。
 PSY・Sの場合、作曲は必ず松浦さん(サイレント・ソングを除く)だが、詞はいろいろな人が書いている。中でもサエキけんぞうさん、松尾由紀夫さん、森雪之丞さんの三人のイメージが強い。三人とも少しずつ雰囲気が違い、サエキさんの場合は”言葉”が印象に残るのに対して、松尾さんの場合は視覚的なイメージの広がりを感じることが多い。そして森雪之丞さんの書く詞には物語性が強いように感じられる。
 平凡に見える日常の中も、ドラマチックな冒険活劇に変わってしまう。そう考えるとワクワクしてこないだろうか?
尖ったヒロイズム……時代に逆らえば
夢中になれる熱いオペラ
待ち伏せしてる 35°
飢えた胸を抱いて 激しい風の中へ


作詞:森雪之丞
作・編曲:松浦雅也
アルバム
「ATLAS」

あなたの好きな Elton John/種ともこ

 この曲が収録されているアルバム「Mighty Love」はちょうど彼女がご結婚されたころにリリースされた。そのせいか、全編”しあわせ”な感じであふれている。その中でも、この曲は「ノロケ全開!」で、とてもうらやましい(笑)
 シチュエーションとしては新婚ほやほやの休日の朝の光景だろうか、
二つ並べて今日もつくる目玉焼き
こげてつぶれたほうは
あなたにあげるわね

こんなことが言えてしまうのも、愛し合っているから。

作詞・作曲:種ともこ
アルバム
「Mighty Love」

Kisses/PSY・S

 このところ三日ほど雨の日が続いたので、今日は青空が気持ち良かった。こんな日はこの曲を思い出す(本当はもうちょっと先、初夏のちょっと汗ばむくらいの天気のときの方がイメージが近いんだけど)。
木々の緑わたる 風の薫り
深呼吸をしたら 瞳 とじて

 夏に向かって命が活力を取り戻していく中で心が弾むように、この曲を聴くとなんだかうきうきしてくる。それにしても、キスってこんなにさわやかなイメージで歌えるんだ。
 そうそう、シングルバージョンは、間奏で音がぐるぐる回るので、ヘッドホンで聴いてみて欲しい。

作詞:松尾由紀夫
作曲:松浦雅也
編曲:松浦雅也、LIVE PSY・S
アルバム
「Signal」
「TWO SPIRITS」(Live Version)
「Two Bridges」(New mix)
「GOLDEN☆BEST」(シングルバージョン)

Brand-New Menu/PSY・S

 昔の曲を今聴いても新鮮さを失わない、というのは私のPSY・Sについての感想だが、そのとき真っ先に思い浮かべるのがこの曲だ。なんといっても歌い出しが素晴らしい。
キラキラとしている時には
空気さえも味方

 本当に充実している人は廻りの空気さえ変えてしまう。その場に現れたとたん、澱んでいた雰囲気を変えてしまうのだ。まるで爽やかな風でも吹いたように。この曲もそんな風をまとっている。
突然世界が、
そう! Bright & new 見える

 最後に伸びやかに歌われるこのフレーズで、いきなり目の前が開けたような気分になる。

*今回から、曲データをつけることにしました。過去のものも少しずつ改定していきます。

作詞:佐伯健三
作曲:松浦雅也

12インチシングル
「Brand-New Menu」
アルバム
「PIC-NIC」(Brand-New Fork Rock Version)
「TOW HEARTS」(New Version)
「GOLDEN☆BEST」(シングルバージョン)

サイレント・ソング/PSY・S

 この曲だけ作曲が松浦さんではなく、BARBEE BOYSのいまみちさんなのだ。当然ギターもそうである。
 自分が独り相撲をとっていたことに気が付いてしまったら、いつものように接してくれている相手の笑顔が辛いだろうね。本当は最初っからずっとすれ違っていたんだろう 。
Don't tell me
さよならは あなたの瞳でわかる
二人最初から 出会えてなかった
Silent Song
沈黙の声が響いてる


 実は曲が同じで歌詞が違う”NOISY"という曲がBARBEE BOYSにあるんだけど、タイトルのとおり、全く逆のイメージの曲になってる。聴き比べてみるのも面白いかも。

作詞:安則まみ
作曲:いまみちともたか
編曲:松浦雅也
アルバム
「Collection」
「Two Spirits」(Live Version)
「GOLDEN☆BEST」

スウィングしなけりゃ意味がない!

 SWING GIRLSのDVDを購入。映画館で観なかったことを激しく後悔してる。面白かったぁ。
 特典のメイキングを観たり、コメンタリを聴いた後、もう一回本編を観ると更に楽しめる。メイキングはもう一つのSWING GIRLSと言っても良いような感じ。劇中の演奏はすべて出演者本人たちが演っている。そのためにオーディションで集められた出演者たちはクランクインまでの猛特訓に加えて、撮影に入ってからも練習を続ける。これが本編と重なるんだよね。だから最後の演奏会のシーン、みんなが見事な演奏をするのを観ると胸が熱くなる。それが、悲壮感とか全然無いんだよね。実に楽しそう。みんないい顔するんだ。
 去年の5月に観たSchool of Rockといい、こういう映画を観ると、楽器を演奏したくなる。できないんだけどね。真面目に習おうかなぁ。
 映画を撮った矢口監督も、この映画のおかげでテナーサックスを習い始めたそうだ。わかるな、その気持ち。

ダメージ/BARBEE BOYS

 BARBEE BOYSはPSY・Sとほぼ同時期に活動していたバンドで、いまみちともたかさん(この人はよくPSY・Sのアルバムにも参加してる)のギターの音と、ヴォーカルの杏子とKONTAの掛け合いが好きだった。歌詞は結構下世話で、一歩間違えると演歌になっちゃいそうだったけど。

 この曲も下世話っちゃ下世話だけど、痛いとこ突いてくる。
イメージ壊されたくない ダメージ受け止めたくない

 カッコつけて、自分のスタイルを守ろうとして、強がってみせて。素直に弱みを見せられなくなって。
 そんなことやってると、
いつだって そうやって 意地張ってるから
だれだって こうやって 過ぎ去ってくだけ

 ほら、一人になっちゃうよ。

作詞・作曲:いまみちともたか
アルバム
「FreeBee」
「Black List」

Moonshine/PSY・S

 月明かりなんて、今の都会じゃわからなくなってるのかも。たとえ、部屋の灯りを消したとしても、地上が明るすぎるから。太陽の光とも、人工的な灯りとも違う、その光りを思い浮かべながら聴いてみたい。
 誰かを想って眠れない夜に、空を見ながら聴いてみるなんてのもいいかも。
風になって どこへ行きたいの
胸のなかで 誰の名前呼ぶの

ちょっとせつない、お月見、なんてね。

作詞:松尾由紀夫
作・編曲:松浦雅也
アルバム
「ホリディ」
「Two Bridges」(Remix Version)
「GOLDEN☆BEST」

約束と偶然/PSY・S

 人を好きになるのにもいろいろある。一緒にいるとドキドキするっていうのも刺激があっていいけれど、なんだかなごんでしまうというのもいい。ほっとするようなそんな時間が欲しい時がある。
涙なら得意だったあのころ
笑顔のたびに過去形になる

 辛かったことを忘れるような、そんな時間が。

作詞:安則まみ
作・編曲:松浦雅也
アルバム
「WINDOW」

Angel Night 天使のいる場所/PSY・S

 アニメ「シティーハンター2」の主題歌になっていたので、それで知っている人もいるのではないだろうか。しかし、テレビサイズに切られていると、華麗なイントロも、間奏部分のギターとヴォーカルの掛け合いも聴けないという大変もったいないことになってしまう。
 全編、疾走感にあふれているのだけど、ときおり、ふっと立ち止まるような感じになるところがあり、それがまた印象的なのだ。
 そして、
最初に好きになったのは声
それから背中と整えられた指先

 これはやられた。確かに、声から好きになる。言葉にされるまでわからなかったけど。

作詞:松尾由紀夫
作・編曲:松浦雅也
アルバム
「Non-Fiction」
「Two HAERTS」(New Mix)
「GOLDEN☆BEST」(シングルバージョン)

お師匠さまと筆子

 寺子屋では先生のことはお師匠さま、生徒のことは筆子、寺子などと呼んでいました。師匠になるのに、特に資格は必要なかったので、さまざまな人が師匠として教育に当たっていました。寺子屋の語源は僧侶が寺で読み書きを教えたことから来ていますし、神官、山伏なども師匠となっていました。江戸では武士が教えることが多かったのですが、これも公的な仕事としてではなく、私的なものです。農村では、名主、庄屋などが師匠になることもありました。都市部以外では、他に稼業を持つ人が副業としてやっていることが多く、無償、あるいはわずかな謝礼で教えていたようです。現金収入の少ない農家などでは、現金の代わりに農作物で謝礼をしていたところもあります。
 教員免許などありませんから、幕末期に大量に増えた寺子屋の中にはあまり質の良くない師匠もいたようです。とはいえ、多くの師匠は筆子たちに慕われていました。師匠が亡くなると、筆子たちがあつまって謝恩の記念碑を建てたりしてます。これは筆子塚とか筆子碑などと呼ばれ、全国いたるところにあります。試しに筆子塚で検索してみてください。ほんとにたくさんありますから。
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